名称(よみ) | 駒城(こまじょう) |
通称・別名 | 駒館、駒楯城 |
所在地 | 茨城県下妻市黒駒字奥内47-1 |
天気情報 |
03/07(金) 降水確率:20% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
問い合わせ | 下妻市役所総務課情報管理室[電話] |
分類・構造 | 平城 |
築城主 | 藤原実寛 |
築城年 | 南北朝時代 |
主な城主 | 藤原実寛 |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
指定文化財 | 県史跡(駒城跡) |
再建建造物 | 石碑、説明板 |
2025/02/24 00:33 マグロ常陸介祐平
山川城:鎌倉時代初期に結城氏初代朝光の四男重光が築城したと伝わります。分割相続の時代でもあり、独立した武士として鎌倉幕府に仕えていたようです。小山氏・結城氏の有力な一族として、小山氏の15代成長は、山川氏より養子に入っています。鎌倉時代から戦国時代まで、代々この館に居住しましたが、永禄8年(1565年)氏重の代に山川綾戸城を築いて移っています。慶長6年に山川氏が結城氏(秀康)に従い福井に移ると幕府の直轄地となり、陣屋が置かれ横田氏が代官として赴任、代官が廃止されると東持寺が寛永3年(1626年)この地に移っています。お城は典型的な方形の居館で、土塁や空堀が良好に残っています。説明板によると南北約172...
2025/02/22 23:50 マグロ常陸介祐平
山川綾戸城:天慶の乱(938~940年)で、平将門が砦を築いたとの伝承があるようです。永禄8年(1565年)になると結城氏の一族山川氏が北に4km程の山川城(現東持寺)からこの地に城を築き移っています。慶長6年(1601年)に結城秀康と共に山川氏が越前に移ると、一旦徳川氏の直轄地となり、慶長9年に松平定勝(久松松平)の三男の定綱が山川に5000石を与えられ、慶長14年に1万石を加増され、山川藩が立藩します。おそらくこの時点で近世城郭として整備されたと思われます。元和2年(1616年)定綱がさらに加増され下妻に移ると(最終的には桑名藩主)、家康の従兄弟の水野忠元が3万石で入りますが、寛永12年に1万石を加増...
来月度の城主争い戦況
1位 治部卿毘沙門天さん 42回
2位 ちぃさん 22回
3位 puru下総守堀戸道光さん 19回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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