名称(よみ) | 駒城(こまじょう) |
通称・別名 | 駒館、駒楯城 |
所在地 | 茨城県下妻市黒駒字奥内47-1 |
天気情報 |
11/22(金) 降水確率:40% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
問い合わせ | 下妻市役所総務課情報管理室[電話] |
分類・構造 | 平城 |
築城主 | 藤原実寛 |
築城年 | 南北朝時代 |
主な城主 | 藤原実寛 |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
指定文化財 | 県史跡(駒城跡) |
再建建造物 | 石碑、説明板 |
2024/06/14 23:54 マグロ常陸介祐平
駒城:駒城は、南北朝時代の騒乱期に中御門少将藤原実寛により築かれたお城です。実寛は南朝方としてこの城に立てこもり、北朝方の高師冬の攻撃により落城します。北畠親房が小田城で「神皇正統記」を著すことが出来たのは、実寛が師冬を釘付けにしたからとされています。駒城は昭和10年に茨城県指定の史跡となりますが、皇国史観によるものです。これも歴史の一コマですね。遺構は、石碑の建つ土塁が空堀を伴い一本と「茨城県の中世城館」の縄張図に土塁のように表現される南東に200mにある「駒の墓」の石碑(大正13年建立、由緒不明)が建つ短い土盛りのみと思われます。また、近くには南北朝時代の五輪塔がありますが、説明板には城との関わ...
2024/06/14 23:21 マグロ常陸介祐平
鷲宮砦:和歌城の北東1km、沼森鷲神社が砦跡です。南北朝時代、北朝方の高師冬が南朝方の駒城を攻略するための拠点の1つとして築いたようです。神社のある主郭は一段高い土壇に建てられ、周囲には土塁や堀の痕跡のような構造が見られますが、明確な遺構という感じではありません(写真3,4,5,6,7,8枚目)。北条氏照の北総侵略では、お隣の和歌城同様攻撃を受けたとされていることから、戦国期まで存在したようですが、神社の創建は1409年とされており、微妙な感じです。神社の鳥居は1701年のもので、町の文化財に指定されています。説明板は砦にはふれていません(写真1,2枚目)。
来月度の城主争い戦況
1位 治部卿毘沙門天さん 103回
2位 ちぃさん 66回
3位 puru下総守堀戸道光↸雁さん 51回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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