一番重要だった豊臣秀吉の合戦は?(2015/12/18)
豊臣期大阪図屏風(オーストリア・エッゲンベルク城所蔵)
低い身分から立身し、ついには天下人となった豊臣秀吉。そんな秀吉の信長亡き後の天下獲りの過程で、一番重要だった戦いは?
[投票実施期間]2015年12月18日~2016年01月04日
1.謀反人、明智光秀をいち早く討った「山崎の戦い」。 |
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2.織田家の実力者柴田勝家を滅ぼした「賤ヶ岳の戦い」。 |
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3.事実上、天下に勢威を示した「小牧・長久手の戦い」。 |
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4.四国の雄、長宗我部元親を降した「四国征伐」。 |
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5.島津義久を全面降伏に導いた「九州征伐」。 |
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6.天下統一の総仕上げの戦いとなった「小田原・奥州征伐」。 |
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「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
兵部大輔ゆうた(1を選択)
一番のターニングポイントだと思う。
みねっち修理大夫(1を選択)
主君の仇を一番に取ることで存在感を示した
これしかないでしょう
静寂の葵内匠頭命(1を選択)
転機になったという意味でこれでしょう。他は一段階進んだ感じです。
弾正忠ちんたん(1を選択)
信長というシンボルが無くなり、乱れそうな家中を上手くまとめて新たなシンボルになれたのも、この合戦に勝って、一躍天下取りレースのトップに躍り出たから。
ミランパパ安芸守(1を選択)
この戦で主導的な立場にあったからこそその後、周りの人がついてきたと思う。
伊豆守隠岐守(1を選択)
これが全て。
ここで都合の悪い事は、全て闇に葬り、自分の良いように歴史を書き換えた。
伊能外記忠敬(1を選択)
山崎での功績あってこその天下取りだと思います!
( ´ ▽ ` )ノ
鎌倉又兵衛《》勘解由長官(2を選択)
結果論で言えば勝つべくして勝ったような印象の賤ヶ岳。しかし実は一番の天下分け目では?
大宰少弐鷹師(1を選択)
この戦いで秀吉に大義名分が出来たと思います。
鎌倉五山勘解由長官建長僧堂(1を選択)
選択肢になかったけど、山崎以上だと思うのが、朝倉攻め撤退の際の殿軍。
あそこで死んでたら….とその後の勝家や家康は思ったでしょう。
たけ坊(1を選択)
この戦が起点でしょ♪
tacchi修理亮(6を選択)
九戸城では?
綱島出雲守八雲(3を選択)
結果的に講和したが織田が応じず長引けば徳川と交流があった北条の加勢もあったかも。講和に持ち込まなければならなかったこの戦。
いとっち(1を選択)
この選択肢の中では山崎の戦いなのだろうが私は墨俣一夜城の築城ではないかと思っています。(戦ではない?)
爺々大宰大弐(1を選択)
ここでコケてたら、その後は何も無い
京楽秋水石狩守(1を選択)
此処には無いが岐阜人としては、墨俣一夜城を築いた美濃攻め(稲葉山城)を推したい!
【戦国扇風】武蔵守J-9(1を選択)
『一世一代の賭けだったよね。』『情報戦・時間との戦いでもあるわ。』(°∩°)ウンウン。
伊達一輝☆武蔵守【独眼竜】(6を選択)
伊達政宗を生かしたから❗凄い❗
ジオジオ弾正忠(1を選択)
この戦が天下取りの始まりやから。
永眠武蔵守釋 葱進(1を選択)
ここで明智を倒せなかったら天下人にはなれなかったと思う
ウオッカ能登守(1を選択)
やはりこれでしょう。これがなければ秀吉の時代は始まらないのでは。
ぴょんさん(2を選択)
ここで3姉妹が亡くなっていれば、淀殿→秀頼は産まれず、(短期かもしれないが)秀次公の世となったのに…。
右兵衛督ギショー(1を選択)
この戦いが大前提のように思う。
越前宰相(1を選択)
跡を継ぐ大義名分を得た戦だと
いちごう(1を選択)
やはりこの戦でしょう。天下取りレースの先頭に立ったのですから。
黒田大宰大弐ななつ星(2を選択)
山崎の戦いは後の織田家家臣群の中での発言権を決定的にしたことは間違いないですが、それを盤石にしたのは賤ヶ岳でしょう。
これにより、茶々を手に入れ、後の運命を決定したともいえるかと思います。
弾正少弼謙信&信玄(1を選択)
織田家で最初に信長の仇討ちが出来たから。
豊島左衛門佐カンプ衛門(1を選択)
これなけりゃ…始まらんでしょ
白起(1を選択)
光秀を討った者が次の天下人候補になれるから
聖戦士尾張守ヒロフミ【✤】(1を選択)
(-_-;ウーン、正直小牧長久手もどうかなと思いましたが、
ヤッパ、この戦いがターニングポイントでしょうなぁ~
カエズ常陸介ガリュキ(1を選択)
ターニングポイント。
まさむね(1を選択)
秀吉の立場を決定的に変えた。
かめ〜右兵衛督(1を選択)
山崎で勝たないとそれ以降の合戦に意義もなくなってしまいますからね。
織田右京大夫青龍(3を選択)
やはり豊臣秀吉vs徳川家康でしょう。
梨清(1を選択)
山崎の戦いの勝利があったから、ライバルを凌駕する程の従う勢力が増えた。
まさ宮内卿猛虎(2を選択)
柴田勝家とは以前からしっくりしない仲で有った。秀吉には目の上のたん瘤的存在でしたから、勝家を討つ機会が無いものかと、常ずね考えていた。
まーす大和守け(1を選択)
この戦いに勝利したからこそ、信長の後継者争いで優位に立ち、以降の戦いを優位に進めることができた。この戦いに負ければ歴史から消えているだろうし、この戦いが存在しなくても、一武将に過ぎなかったろう。
肉玉うどん(1を選択)
この速さが、それ以降の勢いを生んだ。
天叢雲修理大夫風歌(1を選択)
1でしょう。
明智を討ったことで、清洲会議で三法師を跡目に付けて、自分は後見人になることが出来た。
また、賤ヶ岳の戦いで多くの味方を得ることが出来、勝つことが出来たと思う。
居眠右京大夫狂四郎(1を選択)
これでしょう。
nao志摩守(1を選択)
事実上のトップにかけ上がったのは明智戦かなぁ
shunchan(2を選択)
この戦いまでの秀吉の人生は輝いていた。
この後は惰性のようなもの。
Nabeppu左馬頭(1を選択)
なんつたってこれでしょう!コレがあったればこその清須会議であり、賎ヶ岳であり、小牧長久手でしょう。そもそも実績有りきで人は付いていくわけで、今も昔も人の思考回路は同じでしょうから。
銀英5ロイエンタール左近衛少将(1を選択)
この戦いがなかったら、清洲会議で主導権をとれなかったと思います、着地点を信長の後継者の後見人と、するなら、発言力が必要、その土台こそ山崎の合戦で、あったかと
新かっきー河内守 (1を選択)
次の天下人への名乗りを挙げた大事な合戦 他の武将がまごついている間に大返しを強行して明智を伐ったのはさすが秀吉
琉照(1を選択)
どれも捨てがたいですが、高松城攻めから一気に戻り、明智を討った事で発言力が増して、次につながったのではないでしょうか。
タタキ武蔵守(1を選択)
逆賊・明智光秀を討ったということで、織田家中での優位を確実にできたことは今後の戦いに大いに役立った
日向夏隠岐守(1を選択)
そりゃコレでしょう。大返しから撃破までの流れは見事。天邪鬼なら金ヶ崎選ぶかな?
副将軍蒲清和銃鞍(1を選択)
やっぱ、これでしょう!
摂津左近衛少将(3を選択)
山崎の戦いに勝ったとはいえ、まだ信長の子供は健在であり、それらを全て従わせたこの戦いが一番重要なのではないでしょうか。
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