戦国世論調査

石川数正出奔の真相は?(2015/11/24)


現在の岡崎城天守(写真提供:岡崎市)

徳川家を出奔し秀吉の家臣に鞍替えした石川数正。徳川家に激震が走ったとも言われるこの出来事、あなたはその真相をどう見る?

[投票実施期間]2015年11月24日~2015年12月18日


1.家康の嫡男、信康が切腹した頃から家康との関係は冷え切っていたと考えられる

10%

2.豊臣家と往来するうち徳川家中で内通の噂が立ち、否応なく取った行動と言える

34%

3.秀吉と接するうち数正自身がその器量に惚れ込み、自ら志願してその家臣となった

10%

4.数正の能力を愛した秀吉が恩賞を餌に執拗に招聘したため、断り切れなくなった

10%

5.出奔自体が偽装工作で、実は家康の命で豊臣家内部で諜報活動を行っていた

32%

6.その他

2%
「ニッポン城めぐり」利用者のコメント

半日皇帝下野守(5を選択)
実は、家康の天下取りの影の立役者だった!のかも(≧∀≦)

野呂利左衛門督休三(6を選択)
長久手で一撃を与えたとは言え、家康と秀吉との力の差は明白。その上、信雄も秀吉に臣従したのに対抗するのをやめない家康に不安を感じ、見切りをつけたのでは。

瀧乃道大蔵卿ユズル(2を選択)
れんらくやくは大変

津軽宮内大輔藤原信建朝臣(2を選択)
とかくに人の世は住みにくい…。
ただ、希望としては5であってほしい…。

ひで(5を選択)
家康ならやりそう

孤高の野武士(5を選択)
家康との密談で秀吉の家臣に偽装し来る家康の挙兵の機会を待ち情報活動をしていた。

大蔵卿モトヤス(6を選択)
秀吉の調略で反浜松衆の頭目に担ぎ上げられるのを恐れてではないか。岡崎城占拠なんてことになったら徳川存亡の危機。出奔し岡崎衆が反浜松衆で乱を起こすのを回避したのでは?

越後守城門の虎(6を選択)
1か2か…悩んだ末その他としました。
徳川家家臣の内紛あるいは分裂を一身に背をって敢えて出奔したのでわ?とおもいたいです。

三日左馬助落人(2を選択)
大坂の陣前の片桐且元と同じような状況に陥ったのでしょう。

音みく中務大輔闇サガン(6を選択)
4と5
断りきれなくなってしまい家康に相談
許可を貰って部下になった
あくまでも内偵ではなく上司換え

大宰少弐ためぞう(4を選択)
でも、実際に出奔したらしたで、秀吉は困った…みたいな

スティンキー(2を選択)
これやと思う。

【良子♥】加賀守海里桔梗(5を選択)
そうだったらネタ的に面白そう。

羽柴東市正且元(2を選択)
三河もんはひがみっぽいから。

細川治部卿元氏(3を選択)
司馬遼太郎のファンだったので

聖戦士尾張守ヒロフミ【✤】(5を選択)
家康が天下を取った後に家康の元に戻っているので、この可能性が高い。

アッツ中務卿蝦夷守(6を選択)
羽柴との対立は徳川にとって特ではないと分析の結果、恭順を申しいれたが聞き入れてもらえず、無念か又はショック療法を試みて出奔したのではないか。

フレデリカ.G(6を選択)
長いものに巻かれただけ

銀英5ロイエンタール左近衛少将(6を選択)
秀吉と外交中に勝てないと判断した数正は、自分が出奔する事で、徳川家臣団は、再編成を余儀なくされる、為の、時間を稼ぐ必要がある、和平やむなしの状況を作る、故に覚悟で出奔したって、昔時代劇で見て、今も共感

ぴか権大納言(6を選択)
4に近いけど愛されてはないと思います。

(4を選択)
秀吉公は家臣の引き抜きに長けてたので,たまたまその1人になったんだと思います(・∇・)

各務原武蔵守(6を選択)
この頃から家康は譜代の家臣に見切りをつけ、新参者を重用している。中でも本多正信は裏で筆頭家老の追い落としを画策しそうなイメージ。派閥争いに敗れた結果、というのが私の見解です。

ぴょんさん(6を選択)
1と2を合わせて。

ソバッソ80.0(2を選択)
お陰で松本城が立派になりましたね。

主殿允ドラえもん(5を選択)
一族の石川家成は処罰されず、幕府を開いた後も、養子をとることを許されているし。
重鎮の数正なら、家康が秀吉に降伏するのを手伝えるんじゃない?

いの37紀伊守虎之助(6を選択)
中央人気質に共感し、三河に合わない気質だと自分で思っていたのでは?
ただ、三河だからこそ数少ない気質故に重用されたけど、大阪に来てみるとそれ位の人はゴロゴロいた、てとこじゃないかと…

白まこ尾張守青龍(2を選択)
数正自身とその子供の行く末を見れば、徳川と通じた上での出奔はないでしょ。
徳川内部の勢力争いで不利な立場になりつつあるところを秀吉が釣り上げたと解した方が理解しやすい。

甑岩式部卿正頼(2を選択)
司馬遼太郎の覇王の家のイメージ強くて…
徳川家には独特の閉鎖的な風土があったように思えるので。
家康にも、数正にも不幸な出来事だったと思います。

弾正忠ちんたん(5を選択)
希代の裏切り者とされているが、案外(徳川家の豊臣家
に対する)人質兼スパイだったのかな?

カンパネルラ(4を選択)
数正の才能は、頑固で武骨を尊ぶ松平家の家風に合わず、満たされていたとは考えにくい。秀吉の魅力が勝ったという訳ではないだろうが、徳川家よりも天下を握ろうとする秀吉の元が、彼を満足させる状況だったろう。

KHガゼル(5を選択)
3は薄いけど、どれでもあり得そう
スパイだと分かって受け入れガセ情報握らされてたとしたら面白いから5にします・秀吉側もそんな事考えるでしょうから実際機密情報を得る事はなかったでしょう!?

秋の夜長(6を選択)
あーら、おホモだちよぉ。だってそれで出世した秀吉でしょ? 信長が逝っちゃって寂しい彼に家康がプレゼントしたのよ。(*^^)vな

たびまろ(6を選択)
こうした事は一つの要因で動くことではないが、少なくとも秀吉が前向きでなければ、豊臣家の中でやっていけない。とすれば秀吉の家臣に無い何か(例えば隣国との交渉パイプとか)を持っていた。とか。

中務大輔真銀(6を選択)
小牧長久手を終えて豊臣の天下が見えたところで誘いがあったので「天下人の直臣」の座を得るチャンスと見たのでは?

ウツーノ越前守白起廉頗王翦(2を選択)
秀吉お得意の敵軍譜代の引き抜きベタ誉め切り崩しに外交担当していた数正が狙いどーり不穏な噂を流され仕方がないとゆーか数正も高禄と出世目当てやったのかな。

【阿流府】神崎左兵衛督將臣(2を選択)
外交役として戦以外の功績が妬みや僻みになり内通の噂になったと考えます。本来切腹ものだが家康の計らいで秀吉側に逃がしたのではないか。その後に数正の名が公に出ないのは、家康の恩に報いるため?

もっくん勘解由長官3号(2を選択)
家康は、この時の経験を片桐且元に使った。倍返し

GAGA関白百万石(1を選択)
家康は数正を疑っていた。

てお(6を選択)
雲ゆえの気まぐれよ

宮内卿くらりぃ(2を選択)
妬みとか、色々あったでしょうから。

小早川隆景(6を選択)
家中での若い武将たちとの争いに負けて居場所がなくなりかけてたのでは?

sugar3776根室守(6を選択)
小牧長久手の戦いの後に出奔した事から秀吉の策略で2になるよう追い込んだ?
5の様に家康が埋伏の毒を仕掛けたのであったら歴史のロマンを感じる。

Sena左近衛少将(2を選択)

柴崎権大納言幸助(4を選択)
…かなぁ、と思います。

青き巨星弾正少弼かみ(5を選択)
こうあって欲しいなという願望です

主計助ケエン(5を選択)
家康ならありえない話ではないと思う。軍事情報流出を理由に三河武士を抑え武田流にする為とも思える……ただ、徳川側のマイナス面が大きすぎるなど、はっきり言って分からない

綱島出雲守八雲(1を選択)
三河武士に限って選択肢の2〜4は考えられないかと。選択肢5は考えもつかなかった。こういう見方もあるのかと思ったが、1で。

(5を選択)
なんかその方が家康っぽくてのちの関ヶ原に繋がりそう

右近衛少将りおちー(2を選択)
その後の豊臣政権でのパッとしない状況を考えると、数正も秀吉も強く望んでいなかったのでは

パパ兵部卿たこ(2を選択)
内部で諜報活動なら、徳川軍の戦術を武田流に変更する必要があったかどうかですが。まあそれも秀吉の目を欺くためのものだたかもしれませんが、現段階ではこれで。

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