江戸無血開城を決定した勝海舟の行動は正しかったか?(2015/09/25)
『江戸開城談判』(部分、聖徳記念絵画館蔵)
慶応4年(1868)新政府軍の西郷隆盛と旧幕府を代表する勝海舟が会談し、戦わずして江戸城が開城されることが決定された。この江戸城無血開城は勝海舟の判断によるところが大きかったが、精神的支柱ともいえる幕府の本拠地を戦わずして失った旧幕府側の衝撃は非常に大きかった。では、この無血開城に至る勝海舟の行動は正しいものであったのだろうか?
[投票実施期間]2015年09月25日~2015年10月14日
1.戦いを挑んだとしても強大な戦力を誇る新政府軍には勝ち目はなく、当然の行動であった。 |
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2.何より大事なのは一般市民の命と財産であり、それらへの被害をおさえるためには仕方のないことであった。 |
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3.開城は仕方ないとしても幕府側諸藩や抗戦派との事前調整をもう少し行うべきであった。 |
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4.無血開城によって戦果を挙げられなかったことが東北戦線の激化につながった側面があり、少なくとも一戦は交えるべきであった。 |
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5.多くの戦力を残していた東北諸藩らの戦力を糾合、江戸城を本拠として徹底抗戦すべきであった。 |
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6.その他 |
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「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
ほい図書頭ほい(6を選択)
外国に介入され植民地化される可能性を考えれば正しかったと思う。
⚡ 左大臣雷権現⚡(6を選択)
徳川家存続を第一に、江戸を戦火にさらし国力低下をさけ、外国の脅威を受けにくくする。勝海舟の苦渋の英断と思ってます。
shin副将軍(6を選択)
トップの徳川慶喜は鳥羽・伏見の戦い以降戦意喪失気味で主戦論者の小栗忠順も罷免している。勝自身も大言癖あり主戦論者から好意を持たれてない以上事前調整も難しいと思わる。江戸は守れたが東北は…。
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