信雄が単独講和していなかったら…(2015/02/04)
小牧山に建つ小牧市歴史館(小牧城)
織田信雄の単独講和で幕を閉じた小牧・長久手の戦い。もし信雄があくまで徹底抗戦を続けていたら、戦いの結果はどうなっていたか?
[投票実施期間]2015年02月04日~2015年02月22日
1.長久手に敗れたとはいえ、数に勝る秀吉が家康を降伏に追い込んだ。 |
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2.局地戦で勝利を重ねた家康・信雄連合軍が秀吉を降伏に追い込んだ。 |
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3.次第に圧迫された家康が信雄を説得し、秀吉に和議を持ちかけた。 |
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4.合戦の長期化を嫌った秀吉が、家康に信雄抜きで講和を持ちかけた。 |
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5.毛利氏などの中立的な第三者が調停に入り、講和が行われた。 |
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6.その他 |
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「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
田塚大膳亮康弘(4を選択)
長期化したら自分の反対勢力の動きが活発化する恐れがあるので何としてでも講和に持ち込むに違いない。そうしたら家康の都合の良い講和であったかも。
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