秀次を生かしておいたら…(2018/12/25)
豊臣秀次肖像(部分、瑞泉寺蔵)
実子秀頼が誕生したことから、既に関白の職にあった甥の秀次を自害に追い込んだ豊臣秀吉。もし秀吉が秀次を生かしたまま秀頼に跡を継がせていたら、豊臣家の命運はどうなっていたか?
[投票実施期間]2018年12月25日~2019年01月22日
1.秀次が生涯にわたって秀頼を後見し、豊臣氏による長期政権を現出させた。 |
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2.幼い秀頼を秀次が補佐して滅亡を回避し、一大名として豊臣家を存続させた。 |
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3.秀次が従順な家臣であったとしても、豊臣家の滅亡は避けられなかった。 |
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4.秀次が秀吉死後に野心をあらわにし、豊臣家中で家督争いが勃発した。 |
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5.秀頼を快く思わない秀次が家康方に奔り、徳川家臣として自らは生き残った。 |
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6.その他 |
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「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
夜叉姫上野介(3を選択)
おねの甥っ子だったことで得た地位で、特段秀でている訳でもない。腹に一物ある人達の中ではあまりにも非力。史実通りだったと思う。
iCastle周防守SE2(2を選択)
秀次の処罰は豊臣家臣団の混乱にも大きく影響したので、関ヶ原前後の歴史がそれなりに変わったはず。ただ、家康も新たな手は打ってくると思いますが…
micky999(3を選択)
結果は変わらない。秀頼と秀次を争わせて家康の天下になることは間違いなし。
忍(3を選択)
秀次がいたとしても、家康の策略にはとても歯がたたないと思う
相模守謙龍(2を選択)
徳川を抑える器量はないものの無難に立ち回りそう。
関東管領右大臣グンシン(4を選択)
本人は争おうと思わなくても取り巻き達が争いはじめるのは良くある事。
本多作左衛門(1を選択)
かもしれない
井伊兵部少輔直政(3を選択)
消去法でこうなりました
鬼義重常陸介いわちん(3を選択)
秀次が仮に生きていて、補佐したとしてもそれほど有能な感じがしない印象なので、家康のタヌキ策略には対向出来ないだろう
津軽宮内大輔藤原信建朝臣(2を選択)
豊臣の家は存続できたと思います。
(4を選択)
結局揉めると思う
左衛門尉オリ城(3を選択)
豊臣政権は普代の重臣の人材面で不安があったので、滅亡への道は避けられなかったと思います。
伊達 政宗(4を選択)
秀次が、野心をあらわにし、秀頼 義姫暗殺を実行し2人は殺され、怒った大名たちの力で豊臣家は滅ぼされた。
まさ宮内卿猛虎(2を選択)
跡見人の立場で有っても、政権は握っているから、他の大名は野心を粛清せざるを得ない。
マッドマックス✡️播磨守(3を選択)
秀吉が秀次を生かしたとしても、淀殿や家康が見逃す筈はないから。
出羽守拓庵(3を選択)
茶々がいるからね。
あんみつ姫(3を選択)
秀頼が優秀だったため、結局滅亡は免れなかったと思う。
大蔵卿ボンネビルレコード(4を選択)
もっと早く内部崩壊
ガンさん左衛門佐(6を選択)
淀君の横暴を制御できず、結局家康に豊臣氏は滅ぼされる!
ばし(4を選択)
当然これでしょ。
パパ兵部卿たこ(5を選択)
可能性は十分有りますね。
松平宮内丞ヤッターマン(4を選択)
秀頼君は実子?と疑ってたと思われ
立津竹右近衛少将繁親(4を選択)
秀頼が政務を自らとるようになった時に、二重権力状態になり。結局は、家督争いになったと思う。でも武断派は、関ヶ原と違って割れそう。最後は、やっぱり家康さんがもってきそう。長生きだし。
小山四郎常繁(2を選択)
せめて時流を読み、家をどうしていくか位の能力はあったんじゃないか?と思いたい
いがいが(3を選択)
秀次がいても徳川家康には勝てなかったんじゃないだろうか…そもそも、秀次って政治的手腕に関してはイマイチの印象
ひらちゃん(3を選択)
所詮秀次だからなぁ
ジョウ陸奥守(2を選択)
これかな?
阿修羅 主馬首 (1を選択)
豊臣政権は続いた。いずれ秀次vs秀頼は起きてしまうが。あくまでも政権内の内乱。
黄色いタイの男山城守(4を選択)
関白の座を下ろされプライドを傷つけられた秀次は、家康を頼り秀頼失脚を失脚に追い込むが、家康の下に身を置くことは秀次が納得できず、徳川政権下で何らかの嫌疑を掛けられ失脚したのでは。
真田左大臣もきち(3を選択)
そもそも秀次に期待できない。
相模守輝彬(3を選択)
秀次では。せめて秀長ならば。
水城(1を選択)
4の可能性もあるけど、基本的に関ヶ原は起きなかった。
関ヶ原が無ければ、家康は分離工作出来ずに豊臣の天下は続いたと思う
兵庫頭pepe(3を選択)
どっちみちね
☘️方喰左馬助四十郎(2を選択)
五大老と五奉行の対立は、避けられなかったと思うので…
domdomdom大宰帥(3を選択)
淀殿は過保護だし、三成は真面目すぎるし、でも頑張って欲しいかな!
楢山佐渡一山(4を選択)
秀吉死後、家康に唆され家督争いを行い、家康側に付くが改易もしくは領地没収もありかと。
甑岩式部卿正頼(5を選択)
秀次が家康方に奔ると言うより、家康が秀次を担ぐ感じ。家康は大義名分が得やすくなって天下獲りがもっと楽になったかも。でも後からすぐに改易みたいな気がします。
淡輪 和泉守 ロクロ兵衛(4を選択)
家督争い、ではない気がするが、それぞれの周囲の人間が権力闘争でドタバタでグタグタな気がする。
アラン胆振守ポー(3を選択)
家康の野望を防ぐことはできなかったと思う。また、徳川方につくことも家康は許さず豊臣を滅ばしたと考えます
いの37紀伊守虎之助(3を選択)
恐らく家康が何らかの手を打ったでしょう。
鞍馬佐渡守TENG(3を選択)
秀次が生きているだけでは結果は変わらなかったと思う。関白として秀頼が成長するまでの繋ぎをしていたら違っていたと思われる。
太政大臣(1を選択)
秀次の存在意義は力量ではなくって秀次の立場にある。秀吉に跡目を任すとされた以上、立場は日本一なので、家康が暴れることなく長期になると思うから。
浅野能登守春月(1を選択)
秀次の切腹事件により、豊臣家は秀頼以外の者がいなくなり、実質的に支える人がいなくなった。最上やら有力大名を敵にした事件でもあったと思う。
知念尾張守虎之介(3を選択)
秀次自身には日本を纏めるだけの器量はなく、秀吉死後に秀次派、秀頼派に分かれ内部崩壊したと思う
和香式部大輔姫(3を選択)
最上義元の娘、駒姫の本は面白かった❗
Piroshi(6を選択)
家康に懐柔されて徳川方となり、結果史実通り豊臣(秀頼)は滅亡、豊臣滅亡後は難癖つけられて秀次も秀忠に改易させられて終わり。他の元豊臣方の武将の末路と同じでは?
島左近大蔵卿(6を選択)
結局豊臣家から秀次は除け者扱いされて、暗殺されたんじゃないのか?
武田図書助震源(3を選択)
秀次がいたとしても家康にはかなわなかったでしょう
真田大炊允丸(3を選択)
秀次が従順な家臣だったとしても、秀頼の母の茶々(淀殿)の発言力が大きく、歴史は、あまり変わらなかったと思う。しかし、秀次が大阪冬の陣、夏の陣でどちらについたのかは、不明。
けんたろう(6を選択)
秀次は後見人としてではなく、徳川家のように第2代関白 秀次 → 第3代関白 秀頼 → 第4代関白 秀頼の子 と豊臣政権が続いた。
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