北条氏が積極的に景虎を支援できなかった原因は?(2018/06/19)
北条氏政肖像(部分、法雲寺蔵)
御館の乱で一族の景虎が苦戦を強いられる中、北条氏は有効な支援を行えないまま景虎の敗死という結果を招いた。この一見消極的にも見える北条氏の行動の、最大の原因はどこにあったと考えられるか?
[投票実施期間]2018年06月19日~2018年07月19日
1.関東の覇者を自認する北条氏政にとって越後は遠い異国で、対岸の火事程度の認識しか持っていなかった。 |
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2.景虎を支援する意思はあったが、冬季に難所の三国峠を越えて援軍を送り続ける兵站を維持できなかった。 |
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3.内乱の途中で同盟者武田勝頼が景勝方に転じたため、武田領との国境に防衛の兵力を割かねばならなかった。 |
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4.佐竹氏など関東の諸氏への備えを削るわけにはいかず、越後へ長期間大軍を送る軍事的な余裕がなかった。 |
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5.上杉景勝の軍事・外交の手腕が巧妙だったため、結果的に北条氏の行動が消極的に見えるほど制限された。 |
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6.その他 |
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「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
美濃守不識庵拾玖(6を選択)
なまじ一門衆だった景虎が外部で一大勢力を持つことで起こりうる家中の混乱を嫌ったとかうがった見方かな
まさむね(2を選択)
2と3両方かなぁ
菊池隼人正源吾隆永(4を選択)
特に景虎側が優勢な初期の頃はこれが原因と聞いてます。
中垣内征夷大将軍瑞賢(4を選択)
2,3,4全部といったところか。
我こそは眞田左衛門佐幸村(2を選択)
たぶん
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