信長の大器を見抜いていたのは?(2017/04/14)
織田信長像(愛知県清須市 清洲公園)
うつけと呼ばれた過去の評価を覆し、天下統一目前まで覇業を進めた織田信長。では、そんな信長の若い頃からその大器を最も見抜いていたと思われる人物は?
[投票実施期間]2017年04月14日~2017年05月07日
1.信長を廃嫡することなく、常に自らの後継者として接した父「織田信秀」。 |
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2.信長の教育係であり、若き日の信長に数多くの助言を与えた「沢彦宗恩」。 |
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3.信長の傅役であったことで、常に間近でその才能を見続けた「平手政秀」。 |
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4.信長と接点がないものの、その行く末を見たいと言い遺した「朝倉宗滴」。 |
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5.信長と正徳寺で会見し、その才能に嘆息したと言われる「斎藤道三」。 |
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6.その他 |
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「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
悪戯相模守ラスカル(5を選択)
やはり、この人とあったのが転換期だと思う
おとも左近衛中将様(5を選択)
最初から見抜いていたのはやっぱりこの人ではないかと⋯。自らの野望と同じものを感じ、自らの娘も嫁がせたのでは?
kom@ 安房守(6を選択)
竹千代時代の家康な気が。ヤバいアニキとして慕っていたのではないかと。
銀英4_常流山武蔵守神宮次(1を選択)
やはり父でしょう。
明石右大臣則実(4を選択)
土岐を間に挟んで織田と共闘したこともある朝倉なので、宗摘ほどの人物なら信長という人間を接しはせずとも推し量ることも可能だったのでは。
野口相模守(4を選択)
「うつけ」と呼ばれていた信長を一貫して信長を嫡男と定めていた信秀。大器を見抜いていたればこそ!
夜桜上総介きん坊(6を選択)
この、全員でしょ
中務大輔真銀(5を選択)
設問の「最も見抜いていた」の解釈が難しいですが、すでに「うつけ者」として有名だったにもかかわらず噂に惑わせられなかったという点で
武州左兵衛督 憧れの天守閣(5を選択)
三間やりかな。
樋口上野介(6を選択)
木下藤吉郎
竹中半兵衛に信長のことを熱心に語ってるイメージ
三加弾正尹(3を選択)
自分が切腹することで信長を諌めた平手の目抜きはすごい
fenrir大宰帥(1を選択)
父親の英断がなければあとはないと思います。
水天凰大神大学助(5を選択)
愛娘を嫁がせてまで親族にと望ンだから
津軽宮内大輔藤原信建朝臣(1を選択)
信秀と道三、二人の父の存在は大きいと思います。
よはんそん上野介(1を選択)
天下を取れるとまでは思っていなかったかもしれませんが、周りが奇行を憂うなか最期まで嫡男として織田家を継がせたのは戦国の世で家名を残せる男だと思っていたからこそだと思います。
ジョウ陸奥守(1を選択)
尾張の虎でしょ!
左近衛大将忠三郎(5を選択)
なんだかんだで(-_-;)
シバヤン左兵衛督肝胆相照(1を選択)
親父さんかと思う。
こんな逸話を聞いた。
ある日信秀が道三に負けて帰路に
信長柿を食べながら「親父また負けたか!柿は熟したら落ちる!」
信秀(•••大器なり!)
mootze(1を選択)
親のDNAを確実に子孫に受け継ぐから
副将軍直仁親王殿下(1を選択)
や
タレモグロ太政大臣(1を選択)
才能を見抜いていたかはわからないが廃嫡にせず うつけものをあとを次がせたのは英断。
普通なら浅はかな信秀さんだったらあとは継がせないだろうな。
tradewind中務卿(1を選択)
道三と悩みますが、この父の判断がなければ、道三に会ってないわけですし
東北覇王聖役小角(2を選択)
やはり、何と言っても若い頃から指導に当たってきた方が一番良く解って居たのではないですか。
(6を選択)
結果論だが、秀吉だな
(6を選択)
秀吉だね
相模守愛洲久忠(4を選択)
自身も八男で家督を相続したことから、庶流出身ながら尾張を纏め上げた信長の活躍に自らを重ね合わせていたのでは…。
ああ福島県大膳大夫城弾正(1を選択)
実の父親だからこそかなあ?
宇都宮伊豆守信繁(5を選択)
そりゃもう、そうですよ。
ウツーノ胆振守白起廉頗王翦(1を選択)
もう少し長生きして信長に指針を示して欲しかったが早死にはタイミング的には良かったのかな!?
右兵衛督本舗游斎(1を選択)
この人無くして信長はいないでしょう。
鞍馬佐渡守TENG(6を選択)
木下藤吉郎でしょう。
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