秀忠の上田攻め、無謀だったか?(2016/11/25)

秀忠は大軍をもって上田城を攻め立てたが…
関ヶ原の戦いを前に、中山道を進む徳川秀忠は真田昌幸の上田城攻めに失敗し本戦に間に合わなかった。後世の秀忠の評価を落とす象徴的な出来事として語られるこの合戦は無謀だったか?
[投票実施期間]2016年11月25日~2016年12月13日
        1.上田城は必ずしも落とさなければならない立地になく、秀忠の短慮だったと言わざるを得ない。 | 
    
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        2.初陣の秀忠が功に逸った結果と見れば理解できる行動だが、相手(真田昌幸)が悪すぎた。 | 
    
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        3.上田攻めを唱える家臣達の主張を、若い秀忠が抑えることができなかったと見るべきである。 | 
    
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        4.後顧の憂いを絶つという観点では規定の作戦であり、結果だけを見て判断すべきでない。 | 
    
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        5.第1次上田城の戦いの敗戦を思えば、徳川家の威信のためにも制裁を加える必要があった。 | 
    
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        6.その他 | 
    
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「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
安倍相模守宗任(5を選択)
  そして威信失墜…
  
なんつっ亭(2を選択)
  家康に認めてもらいたかった。相手が悪過ぎも、秀忠には【真田を倒してこそ。】という思いがあったはず。
  
野口相模守(4を選択)
  信濃、上野に睨みのきく上田は西軍の重要な拠点となりうるので落としておく必要はあった
  
明石摂政則実(4を選択)
  関ヶ原がまさか1日でケリが付くという想定自体なかったはずなので、秀忠の行動は常識の範囲内と思える。家康の後詰をしようとしていたのは明らかだし、西軍の進撃が早いために家康が方針転換しただけのこと。
  
龍馬太閤【備中の麒麟】(2を選択)
  真田昌幸には敵わない!
  
織田左京大夫青龍(3を選択)
  秀忠がすべての判断をしたとは思えない。
  
志摩守ニコちゃん(2を選択)
  役者が、違いすぎた!
  
fenrir大宰帥(6を選択)
  2と3の複合だったのでは
  
加賀守 海里桔梗(2を選択)
  そんな気がしてならない…
  
小野寺右近衛少将瑞鶴(6を選択)
  東西決戦に時間差で到着する予定だったとも言えるので、遅参して怒られたのもすべて策略だったのではないでしょうか?
  
(3を選択)
  むしろ本多佐渡がお目付けの役割を果たしてない。しょせんは、三成同様実戦向きでは無い文人武将。
  
尾張守だもんで(6を選択)
  本戦が早すぎたから仕方ない。
  
へこ(6を選択)
  周りを制圧して押さえを置いて上田城には近寄らず、本隊を西に進める。
  
❖デストロン左衛門佐(4を選択)
  2と4と5の複合だと思います
  
マッシュ(1を選択)
  上田に籠る真田はたかだか数千。万余の秀忠軍に背後から仕掛ける事は無いので抑えの兵を置けば良いだけ。事実、合戦後に真田軍は秀忠軍を追い討ちする事は無かった。
  
もん主税頭減量中(4を選択)
  だけど、真田の戦略にハマったね。
  
相模守愛洲久忠(1を選択)
  大軍を率いる将として関ヶ原への迅速な移動と兵站に重きをおくべき。小さな出城ならともかく堅牢な上田城では貴重な時間の浪費に繋がるでしょう。
  
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