コート盛

コート盛([下田原城  遺構・復元物])

下田原城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:遺構・復元物)、「コート盛」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

コート盛の口コミ情報

2023年12月29日 陸奥守たろす


【コート盛(先島諸島火番盛)】
◆沖縄県八重山郡竹富町波照間

【概要】
◆国指定史跡『先島諸島火番盛(さきしましょとうひばんむい)』(沖縄県宮古島市、石垣市、多良間村、竹富町、与那国町)の一つ
◆指定年月日:平成19年3月23日
◆先島諸島火番盛は、17世紀中頃に首里王府が、異国船監視・通報のため先島諸島に設置した遠見番所跡群である。火番盛とは「火を焚く丘」 というような意味であり、烽火台・ 遠見台を意味する。火番盛は高いものでは9m、低いものでも3 m弱に琉球石灰岩を積み上げ、頂部には囲いを巡らす。囲いの中に方位石を置くものが多く、また頂部まで螺旋状の階段を 設けるものもある。宮古島の蔵元 (政庁) に届いた情報は早船で首里王府まで届けられた。
◆琉球諸島における烽火制度採用を示す最初の文献史料は、『球陽』尚賢4年 (1644年、崇禎17年)の記事で、中山ならび各島に烽火台(又は遠見番所・ 火番所)を設け、進貢船や異国船が来たら烽火を焚き、順次伝えることとあるものである。琉球における烽火台の設置の背景には、日本の鎖国の 影響と、琉球を軍事的に支配していた薩摩の要請等があったものと推測され、既存の烽火台を再編成し、王府として番人を配置する等の整備を図 った側面もあったと考えられる。琉球列島の最西端に位置し、東シナ海の緊張に直面し、対外関係と鎖国体制の完成を示す遺跡として重要である。
◆琉球王朝時代に設置された 「コート盛」は波照間公民館の北北西約300mにあります。基底部分の直径約8.2m、高さ約3.8m、 上面の直径約5.5~6.6mの二層の琉球石灰岩の石積みからなり、右側から貫くように階段が設けられています。石積みは各々円形 状に築かれ、頂上の中央部には方位石も設置されています。コート盛で得た情報は烽火を使用して西表島から小浜島、竹富島、ま たは、新城島から黒島、竹富島を継いで石垣島の蔵元 (政庁)に情報を伝えました。
《現地案内板より》

【感想】
◆波照間島の高台に位置し周りは今も視界を遮る物は少なく、サトウキビ畑の中に一際目立つ琉球石灰岩で積まれたコート盛は一見の価値ありです。
下田原城跡からもすぐ近くですので、波照間島にお越しの際はセットでの散策をお薦めします♪

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore