加瀬田城

加瀬田城([西原城  周辺城郭])

西原城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「加瀬田城」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

加瀬田城の口コミ情報

2023年11月27日 RED副将軍


巨大な堀でブツ切りにされた凄まじい土木量の肝付氏の支城🏯

オススメ度 ★★★★★

築城年代は不詳。歴史は古く鎌倉時代末期に肝付氏によって築かれたと伝わります。
肝付氏は、ヤマト王権の中枢にあった伴氏(大伴氏)の系譜であり、969年に伴兼行が薩摩掾に任命されて下向し、子の伴兼俊が肝付氏を称して土着したのが始まりとされます。高山城を本拠地とし、大隈半島を支配した有力土豪で、隣国薩摩の鎌倉御家人をルーツに持つ島津氏とは対立し続けました。
1336年、8代当主の肝付兼重は南朝方に付き、加瀬田城の肝付兼隆は籠城し、北朝方の島津貞久と1ヶ月に渡り争ったとされます。三股城からの援軍を待つも、援軍は北朝方に阻まれたため落城したとされます。
1531年には信濃源氏の系譜で南朝方の楡井頼仲が領有しており、加瀬田城には弟の楡井頼重が入城し、北朝方から派遣された畠山直顕と戦うも敗れたとされます。
天文年間(1532年〜1555年)になると16代当主の肝付兼続は加瀬田城を奪回して旧領を回復したとされます。
1578年に19代当主の肝付兼護が島津氏に臣従し、事実上で肝付氏嫡流が滅亡すると、加瀬田城のその後の動勢は分かっていませんが、新納氏などが在番していた様です。

見所
堂篭側西岸、平房集落北側の標高200mほどの丘陵上に築かれています。
東西に伸びた尾根を巨大な二条の堀で分割し、大きく東の郭群と西の郭群で分けられ、それぞれが巨大な三段の郭群で構成されています。
東側ピークが主郭とされ、かなり広い削平地に背後には大土塁で、土塁上も物見とされる小郭が配されています。
要所には桝形や腰郭が配され、登城路も至るところに横矢が掛かっています。
圧巻なのは郭群を隔てる堀です。元々、谷地形があったとしても凄まじい土木量です。

行き方は、城域南側に登城口がありいきなり巨大な竪堀が現れます。東郭群は整備が行き届いており比高は約50mです。
西郭群は未整備で下草に覆われており、東郭群と西郭群を隔てる堀は深すぎるので一度降りてから西郭群に登り返すことになります。
駐車場はありませんが、周辺にスペースはあります。

インパクトのある鳥瞰図を見て伺いましたが、想像を絶する大規模なものがまさに鳥瞰図通りでした。数多の訪城をしてきた中でも強烈な印象を受けた次第です。百聞は一見にしかず、是非ご訪城をくださいませ。

写真
①東郭群と西郭群を隔てる巨大竪堀
②東郭群へと続く切り通し
③④⑤登城路は至るところに腰郭が配され横矢が掛かる
⑥二郭と主郭切岸
⑦かなり広い主郭は背後に土塁が聳える
⑧主郭背後の土塁上

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore