太閤陣
太閤陣([虎居城 周辺城郭])
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太閤陣の口コミ情報
2026年09月02日 龍馬太閤【沼田乃】
鹿児島県薩摩郡さつま町鶴田にある【鳶ノ巣陣(太閤陣)】九州の役、薩摩侵攻時に豊臣軍が築いた陣城の1城となります♪
この太閤陣は、鶴田の丘陵の頂部に置かれています♪川内川上流域の谷・盆地を見下ろす丘陵地の、標高100mという立地です♪頂部に主郭と考えられる場所があって、その下には段々に郭が配置され、帯郭や登城道など、この丘陵裾部まで広い範囲に遺構が残っています♪かなり大きな規模感でありました♪
この陣城は『山奥に籠る城』ではなく、川内川流域を進軍する豊臣軍が、周囲を見渡しながら軍勢を展開する為の陣城、と見ると非常に分かりやすい立地に置かれています♪
鳶ノ巣陣の特徴的な所は…川内川を北上した鶴田という場所で、宮之城方面への進出拠点であり、更には島津歳久の動向を監視する為の陣城なのでしょう♪実際、秀吉軍が川内川を北上して鶴田の鳶ノ巣陣に入り、宮之城の島津歳久と大口の新納忠元の動きを警戒していた事は、史実の通りであります。
さて、鳶ノ巣陣ですが、ここは天正15年(1587年)5月に豊臣秀吉が島津征伐の際に滞在した陣所とされます。秀吉は5月21日夕刻に九尾(鉾之尾)へ入り、翌22日から4日間、鶴田の太閤陣(鳶ノ巣陣)に滞在したと伝えられています。島津四兄弟の次男・島津義弘は、居城の日向飯野城から現地を訪ね、秀吉に目通りして大隅国を安堵されています。一方、祁答院領主で三男の歳久は病気の為に直接会わず、代わりに家臣を遣わして恭順を示したと伝わります。滞在期間が長引いたのは島津義弘に限らず、南九州の領主、地頭らが続々と謁見に訪れたからとも考えられています。
郭を取り囲む土塁が印象的でした♪









