西ノ城
西ノ城([清色城 周辺城郭])
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西ノ城の口コミ情報
2026年09月27日 龍馬太閤【沼田乃】
鹿児島県薩摩川内市の祁答院町藺牟田にある、藺牟田城の出丸である【西ノ城】♪馬蹄状に築かれた藺牟田城の対岸、シラス台地に、出丸である西ノ城は存在します♪出丸とされる西ノ城ですが、南九州でも珍しい、畝状竪堀群のような連続する竪堀群を残します♪また、北側は連続堀切で北の尾根からの侵入を防ぎます♪この西ノ城も藺牟田城も同様に、北側の痩せ尾根部分に連続堀切を配しており、両城が同様に機能していたのであろうと推測されます♪
祁答院渋谷氏の初代・吉岡重安が入部した祁答院地方は、平安末期から大前氏が郡司として存在していました♪大前氏は醍醐天皇の後裔と言われ、一族で祁答院地方に勢力を有していたようです♪祁答院渋谷氏と大前氏の抗争を記した記録は見つかりませんでしたが、渋谷氏はおそらく、大前氏と対抗しながら、祁答院地方の支配を固めていったものと思われます♪
藺牟田という地名は、室町期より見え、薩摩国祁答院の内でありました♪祁答院氏系図は各種伝わっていますが、その代数は十二代、十三代、十六代と一様ではありません。人名も系図によって微妙に違い、不明な点が多いです。
藺牟田城の戦歴としては、藺牟田氏の3代目・藺牟田重持の時、文明17年(1485年)2月20日に、島津家の第11代目の島津忠昌の重臣・島津忠廉を総大将とする島津軍勢が藺牟田城を攻めました。祁答院久富木氏は遠見が岡に、同族の大村氏は上の郡山に援軍を整え、待ち構えています。
藺牟田城の守備は極めて堅固でしたが、火花を散らすこと数時間、遂に城は落城(文明の大合戦)。この戦で、藺牟田氏の重臣・蓑毛五郎右衛門、斑目左京進と将兵五十人余りが、敵の刃に命を落としています。城主・藺牟田重持は、家臣と共に退け口から落ち延び、島津忠廉が引き上げた後、どういう事なのか?再び藺牟田重持が居城しました。ちなみに、この戦の後、重臣の西木場一族は松之川内(現在の和答院町藺牟田の松之川内)へ、斑目一族は出水に移動させられました。
廃城は永禄9年 (1566年)渋谷祁答院の13代良重が亡くなり、祁答院氏の正統が断絶後、藺牟田氏も衰え、藺牟田城も廃城になったとされています。しかし実際は、戦国時代の後半、豊臣秀吉の九州征伐頃までは使っていたのではないか?…と、畝状竪堀群を見て、勝手にそう感じましたw
あまり有名なお城ではないですが、めちゃくちゃ良かったです♪オススメの1城となります♪









