苦辛城
苦辛城([川口城 周辺城郭])
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苦辛城の口コミ情報
2026年05月18日 薩摩相模守義弘維新斎
苦辛城址は、鹿児島市山田町皇徳寺にあり、皇徳寺ニュータウンの山頂部にある皇徳寺くらら城公園に位置した場所に一部遺構があります。この城は、千々輪城址(別名を谷山城址)の支城で、皇徳寺ニュータウンが開発される昭和56〜57年に発掘調査が行われ、シラスによって形成された山頂部から堀、土塁、帯曲輪、腰曲輪などの遺構が残っていて連郭式山城だと判明したそうですが、開発によって遺構はほぼ消滅しているようです。
さて、城跡は、前述の公園を目指して車で行くと皇徳寺小学校の近くにその公園があり、周囲は閑静な住宅地です。車は、公園に面している道路に駐車して園内に入ると苦辛城跡と刻まれた石碑が設置されており、その横に説明板もあります。それ以外は、特に城を示す地図がなく園内を散策すると、帯状に段々となった形状が幾つもあって、これが帯曲輪の跡だと確認できます。その他には、土塁らしきものがありますが、よく確認することができませんでした。
なお、同城は1527年、薩州島津氏の島津実久の家臣・平田宗秀によって築城され、後に薩州島津氏の島津実久と相州島津氏の島津貴久による同族の争いとなった際、貴久側の調略によって平田宗秀が同城を明け渡したとか。
ところで、城名のくらら(苦辛)の由来は、苦参という豆科の薬草がこの辺りにたくさん自生しており、そこから命名されたようです。
しかし、非常に残念なのは、開発の際の発掘調査において、15箇所の曲輪、20箇所の堀や建物跡など多数発掘され、大規模な城郭だと判明しながらも開発のため遺構がほとんど消滅したのは惜しい限りです。









