津奈木城

津奈木城([水俣城  周辺城郭])

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津奈木城の口コミ情報

2022年10月30日 龍馬太閤【備中の麒麟児】


熊本県の葦北郡の津奈木町にある【津奈木城】♪岩盤が剥き出した山塊は町のシンボルになっています♪眼下には薩摩街道に津奈木川が♪イカにも何かありそうな場所に城郭は立地しました♪
南北朝期の建武年間、在地豪族である名和顕興によって築城されています☆
この名和氏は村上源氏を祖とし右大臣源師房または、権中納言源雅兼の子孫とされる源行明が流罪になり伯耆国汗入郡の長田荘に土着していて長田氏を称した事が伝わります♪この長田氏の子孫の長年の代に同国・名和荘に住した事で名和長年と名和姓を称する様になりました♪
つまり伯耆国を本貫として勢力を張った豪族さんです♪後に肥後国・八代郡さらに同肥後国は宇土郡へ移住しています♪
因みに名和長年は建武の新政下で楠木正成、結城親光、千種忠顕と合わせて『三木一草』と称される位に重用されました♪

伯耆国から移住した名和氏は八代郡を拠点に勢力を伸ばしてきたが、名和顕興が藤原南家の流れを組む名門・人吉城の相良氏と対立して領地の半分を失ってしまいます♪
後に相良氏が衰退すると名和氏は領地を回復していますが、義父の宇土為光が菊地氏と争い力を削がれると、名和顕興は独立していて宇土城主となり『宇土』姓に改めてます♪

さて♪津奈木城です☆名和氏の家臣・加悦泰行を配置したと伝わります♪人吉城の相良氏に対抗し続けますが、享禄3年(1530年)に落城☆その後、葦北郡は相良氏の支配下になり、城主も相良一族の深水宗方や相良晴高が在城しています☆
更に加藤清正の支配下になると城代に平野長時、竹内屋次、森本一友らが置かれました☆

現在は公園になっています☆何処までが遺構なのか❓少し分かり辛くはなっていますが、地形自体は隠せません♪主郭と別峰の重盤岩♪尾根で100m位繋がっているこの場所は、麓から攻めた相良氏に強く威圧感を与えた事でしょう☆堀切があった様ですが、公園整備により消失…するも、一部雰囲気を残してました(藪の中)南東麓に大手、北西麓に搦手の小字名が残っています♪
津奈木城のある山も城山と小名が残ります♪

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