蔵満城

蔵満城([筒ヶ嶽城  周辺城郭])

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蔵満城の口コミ情報

2024年06月23日 龍馬備中守【】


熊本県の荒尾市にある【蔵満城】♪東側に南流する浦川は、河岸段丘を作り出しています♪南側は長洲に繋がる平野部で、西側は有明海に面した、河岸段丘上に城郭は存在しました♪

中世の荒尾は小代氏が領したエリアです♪この蔵満城は小代氏の一族である、蔵満氏の城郭と伝わります♪

小代氏についての出自は、武蔵国の小代(勝代)郷(現、埼玉県東松山市)を本領とする中世の武家となります♪武蔵七党の児玉党の流れをくむ遠弘が、小代氏の祖であると伝わります♪遠弘の子である行平は源頼朝に仕えて、本領のほか越後国の中河保、安芸国の見布乃荘等の地頭職を与えられ、鎌倉御家人として小代氏の基礎を築きました♪宝治元年(1247年)小代重俊の時に、宝治合戦の勲功賞として肥後国の野原荘地頭職を与えられました♪文永8年(1271年)幕府の指令により、モンゴル軍襲来に対する防備と領内の治安鎮圧の為に、小代重俊の子息達は肥後国に下り、そのまま土着しています♪南北朝の動乱期には菊池氏を始めとする南朝勢力との合戦で勲功をあげ所領を拡大し、室町中期以降には九州の有力守護大名である大友氏に属しました♪その後の在地情勢の変化に順応して龍造寺氏、島津氏、豊臣氏と主家を転じ、加藤清正に仕えましたが、加藤家改易にともない一時浪居しました。寛永年中(1624年〜44年)細川氏に仕えています♪

この小代氏からは増永氏・荒尾氏・一分氏・中分氏・宮内氏と、この蔵満氏などの諸氏が出ています♪

城郭は美名尻地区の丘陵地末端部、標高13mに存在します♪丘陵地の上は広い平坦地になっていて、城郭を感じる事が出来ます♪
丘陵地先端部寄りに堀切がある様ですが、イマイチ解らず仕舞いでした。城郭の中心地は天四柱神社と思われ、一画高くなっています♪
周囲には『じおんどん』、『どくどんさん』という小字地名が残ります♪『どくどんさん』にはかつて空堀が巡っていた様ですが、現在は宅地がある為に遺構を探すのは困難でありました♪

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