尾形山城

尾形山城([筒ヶ嶽城  周辺城郭])

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尾形山城の口コミ情報

2024年05月28日 龍馬備中守【】


熊本県の荒尾市の荒尾にある【尾形山城】♪浦川と東側からの河川(これも浦川)が合流する地点の北側の低山に城郭は存在します♪この山はおかち山と呼ばれ、標高は63mの低山となっています♪西側に有明海が広がり、眼下には長洲往還が走ります♪現在は山配水池の施設と展望台があります♪
築城年代は不明ですが、小代八郎により築かれたと伝わります♪その後、小代氏の家臣である平山惟久が在城したとされます♪南側には本村居館があり、この尾形山城が詰城と思われます♪三角点のある63mのピークが主郭となります♪削平は甘めではありますが、腰郭の輪郭には土塁があり、内側は空堀となっています♪主郭北側には堀切が一条は明瞭に残ります♪おかち山自体を城塞化していたでしょうが、現在は山配水池の施設や建物があり、往時の姿を見る事は出来ません…☆

小代氏の事ですが、武蔵国で割拠した武蔵七党の1つで、児玉党を構成していました♪出自は武蔵国比企郡小代郷が本貫地となります♪宝治元年(1247年)宝治合戦(北条時頼が三浦氏を滅亡に追い込んだ戦い)では小代重俊が功を挙げていて、これにより肥後国玉名郡野原荘の地頭職を得ています♪蒙古襲来を契機に肥後国野原荘に本格的に移住・定着して、所領経営を行ったと云われています♪

南北朝時代の小代氏は武家方として活躍♪永徳3年(1383年)野原荘全体の地頭職を得ています♪その後、小代氏は菊池氏と対立し大友氏の配下に入りますが、天文23年(1554年)菊池義武が大友義鎮に滅ぼされると、小代実忠は豊後・筑後・肥後などに広大な所領を得て、筒ヶ岳城を本拠地として肥後国、屈指の有力国人となっています♪

天正6年(1578年)耳川の戦いで大友義鎮が敗れると、大友氏は一気に衰退します☆肥前国の龍造寺隆信が肥後に進出してくると…。。
小代親忠は激戦の末に龍造寺隆信に屈服し、 龍造寺軍の肥後平定に活躍しました♪
天正12年(1584年)の沖田畷の戦いで龍造寺隆信が敗死し、龍造寺氏が一気に衰退すると、親忠の子・小代親泰は島津氏に下り、大友氏攻めに加わっています♪近世には肥後入りした細川家に仕えています♪

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