中土館

中土館([高道城  周辺城郭])

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中土館の口コミ情報

2024年11月17日 龍馬太閤【備中の麒麟児】


熊本県玉名市の岱明町中土にある【中土館】♪現在は雛壇状に畑となっています♪北側には友田川の中流左岸、南側は菊池川が造り出した河岸段丘上、現在は中土集落の中に居館は存在しました♪
地内には縄文式土器から土師器までの遺物を出する遺跡が点在します♪名田地名が多く残り、小集落が点在し中世村落の名残を留めています♪この中土館は、中土集落のほぼ中央に位置します♪が、築城年、城主共に不明な居館となります。

この辺り一帯は大野別符(大野荘)があった場所であり、中世より大野一族が領したエリアであります♪この大野氏は同領内にある日嶽城(以前口コミ済み)を本拠としています♪
この大野一族の存在ですが、大野氏の祖とされる紀国隆が、鎌倉初頭に建久4年(1193年)大野(現岱明町大野か?)に下向して以来、この地を領し国衆として活躍しています♪
祖とされる紀氏についてですが、肥後の在庁官人の中にその名前があり、大野別符(9世紀〜16世紀にかけての大野荘園)を開発したと推測されます♪紀氏の一族は以後、大野・中村・薬地・高路など、地名から来る姓を名乗り、その中世村落を治める在地領主として活躍しています♪中土氏という名前は確認取れませんでしたが、中土はこの、在地領主に組み込まれたモノなのか?分からず仕舞いでありました。
ただ、中土館のある丘陵地には幾つか、城郭、居館が点在しており、組み込まれていたのでしょう。

この辺りの出来事として南北朝時代には菊池郡を拠点とする菊池氏が南朝方として活動し、正平年間頃(1346年~1370年)菊池武光の弟である菊池武尚が大野荘まで進出しています♪
その子、菊池武国は高瀬氏を称し、高瀬城(保多木城)を拠点に大野荘の領主大野氏と協力して、玉名地方を勢力下に置こうと画策します。
これに対して隣接する野原荘(荒尾)在地領主の小代氏は北朝方に与同し、両者は大野・伊倉両荘の領有をめぐって激しく対立しました。対立の背景には、両荘が天然の良港を有していたという事があります。ここ大野荘には、肥後の対明貿易港の1つとして、中国明の類書『図書篇』の中に達加什(たかせ)と見える高瀬(高瀬城)の事があり、菊池氏一族がこの港を通じて、明や朝鮮と貿易活動をしていた事が分かっています。また伊倉荘でも、本堂山の板碑群のなかに渡海行者の存在を示すものや、『大明振倉謝公墳』と刻まれた明人墓碑が残り、中国との交流があった事を示しています♪この様に港を制圧し、自己の管理下に置く事は菊池氏にとっては非常に重大な課題であり、大野、高瀬進出の狙いは港を抑える事にあった様です♪

結果、中土館については不明ではありましたが、大野別符という場所の重要性を理解する事が出来ました。
現在、中土館は何にもありませんw
ただ、台地高まる場所であり、荘園制度の中で育まれた中世村落だった事、その中で、大野別符に組み込まれた在地領主の存在があったのか?今は、知ることはできませんが、思いを馳せ、畑を見ていましたw
南には中土の六地蔵石幢が残ります♪

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