戸崎城
戸崎城([隈府城 周辺城郭])
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戸崎城の口コミ情報
2025年08月16日 龍馬備中守【】
熊本県菊池市の今にある【戸崎城】♪戸崎城もまた、菊池十八外城の1城となります♪菊池十八外城とは、隈府城(菊池氏の本城)を守る城塞群で、支城群としての機能を果たした城郭です♪菊池十八外城は菊の城、染土城、亀尾城、城林城、茂藤里城、出田城、馬渡城、正光寺城、増永城、台城、神尾城、葛原城、五社尾城、掛幕城、市成城、黄金塚城、そしてこの戸崎城の事を指します♪
菊鹿盆地東部で菊池川上流左岸に位置し、東部に丘陵が広がります。地内の丘陵末端部に、戦国期の戸崎城が存在します。この戸崎一帯は古代文化の宝庫ともいえる土地で、東南に連なる妙見原には、弥生式文化の遺跡、甲森北から今地区にかけての横穴古墳、赤星で発見された巨石で構築した石棺などがあり、古くから開拓された土地であった事が窺えます。
築城年など、不明な点が多いですが、代々、菊池氏に仕えた鹿島氏の居城とされています。
所在する丘の形状から別名、茶臼山城とも呼ばれます。ピークである101mの丘陵上には、ぽっこりした、マウンド(円形状高台)があります。丘陵の形状から、茶臼山城と呼ばれています。
戸崎城は、ほぼ自然の地形を利用した城であった様です。蘇田に続く道を挟んで反対側には、地元で昔から『物見』と呼ばれる高台が丘陵の端部にあり、その裾には土塁と堀跡と見られる遺構が残っています。現在、この『物見』と呼ばれる場所には、弁財天様が祀られています。城を西に下った今集落には『居屋敷』と呼ばれる字が残り、鹿島氏は普段は集落辺りに居住し、有事の際に城に登り戦ったのでしょう。今集落側、城の登り口には天文5年、弘治2年、永禄5年などの年紀を有する宝篋印塔や、五輪塔が残っています。『土阿弥陀』と呼ばれる坐像があり、これは菊池15代目・菊池武光に仕え活躍した、鹿島刑部大輔の墓と伝わります。
また、近世である明治9年、白川県から熊本県に所属しています。以降は熊本県菊池市ですね。同10年の西南戦争では、薩摩軍が今集落に1週間ほど布陣、その退却後、新政府軍が戸崎城から木庭城に至る線に布陣、相生橋を渡ってきた薩摩軍と銃撃戦があり、薩摩軍が敗退しています。