打越城

打越城([隈府城  周辺城郭])

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打越城の口コミ情報

2025年01月06日 龍馬備中守【】


熊本県菊池市の打越にある【打越城】♪菊池十八城と呼ばれる城砦の1つです♪菊鹿盆地南部で、花房台地の下位段丘面には打越集落は存在します♪菊池氏の本城である隈府城から、直線で8キロ程度の距離で、花房台地の末端に存在した城郭です♪北側には菊池川が流れ、北西側にある隈府城を守る様な形で存在します♪

菊池十八外城とは肥後国菊池氏の居城で、隈府城を取り囲む様に形成された城塞群となります♪
寛政6年(1794年)『菊池風土記』には菊の城、染土城、亀尾城、城林城、茂藤里城、出田城、馬渡城、正光寺城、増永城、台城、神尾城、葛原城、五社尾城、掛幕城、市成城、黄金塚城、戸崎城とこの打越城の十八外城と記載があります♪実は他のものには、また別の城郭の記載もある為…今回は菊池風土記に沿いましょうw

築城年代は不明であります。が、天授5年(1379年)今川了俊との板井原の戦いの舞台となっています。板井原の戦いでは、三万の軍勢を投入した今川軍の攻撃により打越城は落城しています。。

九州探題に就任した兄・今川了俊に従い、長門国から肥前国に下向してきた、弟・今川仲秋は肥後へ軍を進めます。肥後に入ると板井原に陣を張り、亀尾城、菊之城、打越城など本城を取り巻く十八外城を攻撃しています。菊池方も堅固な守りにより、なかなか落城せずに、粘っています。そこで今川仲秋は2年に渡り亀尾城に陣を置き、本城を孤立させ、兵糧攻めを行っています。亀尾城に張ったこの陣を板井の陣とも呼びます。

やがて今川了俊も合流し、菊池武照らの籠もる台城を攻略。さらに菊之城、木野城、本城背後の寺尾野城を攻略し、隈府城を孤立させました。。今川軍は慎重に軍を再編成した後に、菊池武朝の籠る隈府城と良成親王(叔父は懐良親王)の染土城を攻撃し、陥落させました。。
菊池武朝は良成親王と共に阿蘇山中に逃れ去り、一旦菊池を放棄しています。

打越城は菊池一族の林原与三隆益が築いたとされ、林原氏歴代の居城となっています♪林原氏は、蛇塚氏、中山氏、平山氏の祖であります♪
本城・隈府城からみたら、西方の敵に備える為の重要な場所であったのです♪菊池氏が滅亡した後は、怒留湯飛騨守が城主となったと伝わります♪
怒留湯氏は豊後国・大友氏の家臣ですが、後に肥後北部まで大友氏は支配領を拡大し、この菊池の地にも家臣を派遣し、統治しています♪大友氏と云えば、キリシタン大名として名を馳せていますが、この菊池川流域にもキリシタン墓碑が残っています♪また、大友宗麟がポルトガル人から購入したフランキ砲(国崩し)を玉名市高瀬に陸上げして、豊後臼杵まで運搬したという文書が残っています♪大友氏は、この肥後の地から陸上げする事で、肥後国人や民衆に対してアピールし、権力を誇示する為に行ったのでしょう♪

地内には、稲荷宮や、愛染明王堂(金海寺跡)などがあり、打越集落の地神となっています♪稲荷宮は宇賀之御魂神を祀り、怒留湯氏の勧請と伝わります♪
道の切通しの写真は堀切と思われます♪
2024年の夏の記録写真の為、藪the藪ですw

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