泉城

泉城([都於郡城  周辺城郭])

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泉城の口コミ情報

2022年08月15日 龍馬太閤【備中の麒麟児】


宮崎県西都市の【泉城と大安寺】♪日向・伊東氏の本拠、都於郡城の出城です♪この日向一帯に根を張った伊東氏、平安時代から鎌倉時代には静岡県伊東市を本貫地とした豪族です☆藤原の流れを汲む工藤氏の支族で、6代目の工藤祐隆が伊東氏の祖となります♪日向の伊東氏は伊東祐時の時に鎌倉幕府から日向の地頭職を賜り、庶家が下向した事に始まります♪在地豪族の土持氏などと関係を深め東国武士団の力を拡大しました☆
本格的に日向を支配するのは南北朝時代で、建武2年(1335年)足利尊氏の命で日向に下向した伊東祐持からとされます♪
日向国大将として下向した畠山直顕に属し、日向国内の南朝方と戦いました☆
征西府の拡大や観応の擾乱など情勢の変化に日向は混乱しますが、伊東氏は幕府に忠節を尽くします☆室町、戦国時代を通し、伊東氏は守護の島津氏と抗争を繰り返しつつ力を付けます☆
6代目当主・伊東祐堯は将軍・足利義政から、島津氏に代わり守護の職務を命ぜられ、御相伴衆に任じられました☆
11代目当主・伊東義祐は日向の全盛期を造り上げます♪日南、飫肥の島津豊州家を圧倒し、大隅国・肝付氏の庶流である北原氏の後継人事に介入、その領地を横奪すると佐土原城を本拠に伊東四十八城を日向に配置しました☆
しかし木崎原の戦いで島津義弘に敗れた事で、伊東氏は力を失いました☆一時没落する伊東氏ですが、伊東家臣の山田宗昌らは大友氏に客将として入り、栂牟礼城で何度も島津軍を破るなど多くの戦功を立てます☆更に伊東義祐の三男・伊東祐兵は中央へ逃れ秀吉の家臣になり、九州平定での功績を認められ日向国に大名として返り咲きました♪関ヶ原の戦いでは伊東祐兵は病の身で、家臣を東軍へ送った功績で所領を安堵されます☆
以後の伊東氏は廃藩置県まで飫肥藩として存続し、後に華族となりました♪さて大安寺です♪
独立丘陵上で、北西には大安寺池☆
この池は都於郡城の外堀と伝わります♪
また直下に薩摩街道も走り、都於郡城の東方の守りをこの大安寺と泉城としたのでしょう♪
因みに泉城の歴史詳細は不明☆
あくまで都於郡城の出城とされます☆
都於郡城を取り巻く出城は幾つかあり日隠城、向ノ城、東ノ城、南城、前ノ城、中尾城と、この泉城となります☆趣としては大安寺も砦だった、つまり、伊東氏の城郭だったんでしょう♪
泉城は現在、畑に標柱が立つのみでした☆

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