内屋敷城

内屋敷城([綾城  周辺城郭])

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内屋敷城の口コミ情報

2025年09月07日 龍馬備中守【】


宮崎県東諸県郡の綾町大字北俣にある【内屋敷】♪綾町は、宮崎県のほぼ中央に位置します。
綾城からは、南側の谷を挟んだ舌状台地(錦原台地)の南縁部に築かれています。内屋敷には土塁、空堀を廻らし、台地特有の広大な屋敷を構えて、綾氏一族の居館としています。台地下の北側には綾北川、南側は本庄川が流れ、この両河川を天然の濠とします。西は台地上の為、平原に接しています。

元弘3年(1333年)元弘の乱で鎌倉幕府は滅び、その時の功によって、日向国、国富の庄を拝領したのが、足利尊氏です。足利尊氏は、一族である細川美濃守義門をこの地に派遣し、その子・細川義遠は収納使として、日向に下向しています。その後、南北朝の乱が起こり、天授三年(1377年)九州の南朝方の勢力が衰えて行く中で、足利尊氏は国富の庄を二分割し、都於郡の伊東氏と、延岡の土持氏に与えました。この時、細川義遠には諸県庄綾八十町、入野名十六町を与えたと云われます。細川氏は、義遠の代にここ綾を領した事で、姓を綾と改めています。この日向に下向し、この地に根付いた細川義門の子・細川義遠は綾氏を称し、以降は綾義勝、綾義廉、綾義郷、綾義佐、綾義範、綾義継、綾義義と続き、最終的には日向伊東氏の家臣となっています。綾城は伊東氏の手に移り、内屋敷(綾城)も伊東四十八城の1城として機能しています。内屋敷は平時の居館として、詰に綾城という事だったのでしょう。

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