松山塁
松山塁([高城 周辺城郭])
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松山塁の口コミ情報
2024年12月20日 昌幸近江守更に吉
切原川に突き出た舌状台地の先端に築かれた松山塁。直線距離で600メートル西にある島津軍の高城攻撃の拠点として二度使われました。
一度目は天正6年(1578)耳川の戦い(高城川合戦)で佐伯惟教(宗天)率いる大友軍本隊が駐屯しました。そしてここに日本初の大砲「国崩し」を据え付けました。実際は射程距離の関係で届かなかったらしいです。
二度目は天正15年(1587)豊臣秀吉による九州征伐で、弟の秀長が最前線として利用いました。
縄張りは3つの郭を深い堀または二重堀で区切った城で、陣城の域を越えた大がかりなものとなっています。郭2はスロープなど削平されているところがあり後世に改変されている可能性があります。
そして激ヤブ城ということもお伝えさせていただきます。三つ目の郭は行けませんでした。島津軍の最前線である高城があれだけ整備されているのに、かたや大友軍の最前線がこれとは…と悲しくなってきます。
車は宗麟原供養塔(リア攻めマップ参照)に停め、そこから南に徒歩5分です。造園の敷地を通り、目の前のヤブに意を決して突入してください。
【写真の説明】
①突入して現れた郭2の堀。郭2を抜けるまではこんな状態でヤブ漕ぎ必須。
②郭1-郭2間の堀
③郭1まわりの複雑な堀。写真左奥が郭3だが行けず。
④郭1まわりの堀の合流地点
⑤郭1隅部
⑥郭1土塁
⑦郭1内の凹部。虎口か?
⑧遠景