宗麟原供養塔
宗麟原供養塔([高城 碑・説明板])
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宗麟原供養塔の口コミ情報
2024年12月16日 昌幸近江守更に吉
宗麟原(そうりんばる)供養塔は天正6年(1578)11月に小丸川(旧高城川)の川原で行われた豊後の大友宗麟と薩摩の島津義久との合戦(高城・耳川合戦)で亡くなった戦没者を供養した塔(六地蔵幢)である。
この戦いに勝利した島津義久が、犠牲者の霊を敵味方の区別なく、手厚く弔うよう高城城主の山田新介有信に命じ、さらに天正12年(1584)には合戦の七回忌に大施餓鬼(おおせがき)を行わせている。この塔の完成は銘によると天正13年(1585)2月である。
なお六地蔵幢の龕部(がんぶ)に刻まれている六地蔵は、人間は死後、生前の行いにより三悪道及び三善道の六つのいずれかに行くとしたもので、行く先々で地蔵が死者を救済するという考えに基づくものである。
※みやざき文化財情報より転載
塔の後ろに塚があります。
3〜4台分の駐車スペースあり。