内藤政挙公像
内藤政挙公像([延岡城 碑・説明板])
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内藤政挙公像の口コミ情報
2024年10月15日 山下相模守正成
内藤政挙公は、延岡藩最後の藩主です。遠江国掛川城主太田資始の6男として生まれました。万延元年(1860年)、延岡内藤藩第7代藩主内藤政義公の養子となり、文久2年(1862)内藤家の家督を継いで延岡藩主となります。内藤家は、譜代大名なので、鳥羽伏見の戦いには、幕府方として参戦しました。しかしながら、薩摩・長州軍に敗れ、一時謹慎を命じられます。後に許され、廃藩置県後は東京に在住していましたが、明治23年に福沢諭吉の「旧藩主帰郷論」に共鳴して延岡に戻り、定住しました。その後、藩校廣業館の系譜を引く、私立中学校「亮天社」や「女児教舎」(後の延岡高等女学校)などの教育機関を創立しました。その他、北方の日平銅山、延岡電気所、植林事業や港の整備など、延岡の近代化の基礎を築いた人物です。後に「延岡中興の父」と称され、たたえられています。昭和2年(1927年)没。