松岡城

松岡城([蟻尾城  周辺城郭])

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松岡城の口コミ情報

2024年08月25日 龍馬備中守【】


佐賀県の鹿島市の野畠にある松岡城♪松岡城は浜川の河口から約1キロ上流で、松岡神社の裏手一帯の丘陵地に築かれていた城郭です♪現在は会社が建設されていて地形は変わり、遺構はほぼ消滅しています。松岡城は戦国時代、島原有馬氏の支城群の1城で、天正4年(1576年)頃は、北鹿島の横造城、塩田の鳥附城と共に、浜の松岡城として、龍造寺方に対する最前線の城として機能しました。

藤津郡志襍俎(鹿島鍋島家蔵)には『永正十一年五月、高来の有馬左衛門尉尚鑒(※「鎮西志」には越前守義貞とあり)伊佐早の西郷入道宗雪(「鎮西志」に石見守とあり)両勢を以て、彼杵へ発行し、大村日向入道禅賢を攻めて打戦ふ。禅賢軍に利を失ひ、有馬に向かつて和を乞へり。然る間、有馬これを免して軍を止め、即ち大村・西郷の勢を一つに合せ、有馬主馬介純長を先陣にうち、千葉興常が領内藤津郡へ打入り所々を放火し相働く。此時千葉が塩見の城代岩部常陸介敵を防いで討死す。かくて有馬軍兵翌年に至り、藤津・杵島間に在陣し、此年浜の松岡の城を築く』とあります。藤津、杵島郡は交通の要衝である事もあり、有馬方はこの地が欲しかったのでしょう。有馬氏VS千葉氏の戦いの末に出来た城郭だと記しています♪
但し松岡城は、有馬氏が藤津を支配する前に大村氏が築いたとも云われている為、永正11年(1514年)に有馬氏が城を築いたというのは、改修したという事なのか?修復したという事なのか?イマイチ判りませんが、大村氏もまた、有馬一族の為に、まぁ有馬方の城郭である事は間違いありません♪

天文年間頃(1532年〜1555年頃)武雄の後藤氏が藤津に侵入し、松岡城を攻撃したが敗れて退いています。その後この城を本拠として、有馬氏の一族は横造城、鷺の巣城、鳥附城などの支城にあって、深町氏・岩永氏などの部将を配置して龍造寺氏に相対しました。

天正4年(1576年)龍造寺隆信の横造城の攻防戦に敗れた有馬勢は大きな打撃を被り、松岡城も他の諸城と共に龍造寺氏の勢力下に組み込まれています。龍造寺隆信は有馬氏への押さえとして、松岡城に徳島氏を配置しています。
松岡城があったと想定される一帯から、昭和44年、弥生時代後期の石棺二基が発見されています。写真の通り松岡神社しか残っていませんが、そこはかつては丘陵地(松岡山)があったのです。

因みに松岡神社に関しては『鹿島志』に以下の様にありました。『松岡山は浜津の上に在り 三面谷を連ね 境邃く塵少し 青篁翡松相錯り 山中に宮を秘す 素盞鳴尊を勧請す。故に祇園宮といふ』

松岡神社は平安時代の寛弘年中(1004年〜12年)に大村直澄が建立、鎌倉時代未期の嘉元3年(1305年)に地頭大村某によって整備され、室町時代の応仁年間(1467年〜1469年)現在地に遷座されたと伝わります♪
大村直澄はその実在について疑問のある人物ですが、松岡神社近くの古枝字大村方は大村氏の長年にわたる居館のあった所と推定され、その氏神として創建したものなのでしょう。大村氏の藤津支配が確立していた、鎌倉時代から室町時代にかけてが盛時であったのでしょう。

字名として、陣ノ上、城下、犬の馬場、馬場添など城にまつわる地名が残っています♪
肥前狛犬が可愛かった〜♪

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