浜崎城

浜崎城([蟻尾城  周辺城郭])

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浜崎城の口コミ情報

2024年08月29日 龍馬備中守【】


佐賀県の鹿島市の湯ノ峯にある【浜崎城】現在は住宅地の中にある高台が城域と思われます♪天満宮の西側に唯一堀切の名残と土塁状の高まりがある事のみです♪調べても調べても詳細解らずの城郭です…。天満宮のある台地上の北端が浜崎城と伝わります♪有明海に面した港を浜津と呼び有明海の海上交通、眼下には長崎街道多良往還が走る海上、陸上の要地として栄えた場所でもあります♪
別名を浜城と呼ばれるこの城郭は同丘陵上に立地する臥龍城(北西側)とは、谷間1つを挟み直ぐの場所に立地しています♪

城郭詳細全て不明です。
が、臥龍城自体は鎌倉時代(1303年)に原長門守貞光が砦を築いたのが始まりとも伝わっている為、臥龍城に関連した城郭である事は間違いないと思います。この原氏の先祖は筑後国原町(現福岡県朝倉市原鶴)と伝わります。原長門守貞光は祖先の菩提寺として原山知恩寺を今の泰智寺の場所に建てていますが、臥龍城はその後の合戦で消失し、原山知恩寺は浜宿(江戸時代の宿場町)へ移転しています。

戦国時代の原氏の動向として、原豊後守氏長は原城(山浦城)、有尾城(蟻尾城)、塩田の3城を築き、自らは原城(山浦城)に居城し、弟の原右衛門太夫氏政を有尾城(蟻尾城)の城主として、三男の原山城守直景を塩田の城主としています。近隣にある松岡城は鎌倉時代には大村氏の藤津郡支配の拠点となり、戦国時代に有馬氏が龍造寺氏との勢力争いを広げた際には、有馬氏の拠点となった事を見ると、浜崎城は、臥龍城同様に多良往還を押さえる城郭だったと考える事が自然ですね。

大村氏が文明9年(1477年)蟻尾城主・大村家親が小城の千葉氏によって攻められた時『本城』に逃れたと云われていて、これがこの原氏の本城である山浦城と考えられている事から原氏は大村氏の家臣であったのでしょう♪
浜崎城のある天満宮には五輪塔の残片も残っていました。が、結果的に浜崎城の歴史は解らず仕舞いでしたが…が、浜崎城が先に出来た城郭で、臥龍城が後々に浜崎城を取り込んだ?浜崎城と臥龍城は時代感が違う城郭では無いか?直線200m位の場所になる為、後々は臥龍城の出丸的な要素として機能したんじゃじゃ無いかな〜?感じました♪

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