秀岡城
秀岡城([蟻尾城 周辺城郭])
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秀岡城の口コミ情報
2024年08月24日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
佐賀県の鹿島市(字音成)にある【秀岡城】♪肥前七浦駅裏側(有明海と反対側)南側には黒木川が有明海に流れ込む河口付近の丘陵地で、現在は天子神社の境内の場所が城郭であります♪多良岳の噴火活動により造られた地形は雲仙島原同様に、有明海に伸びる舌状台地を造り出しました♪この多良岳から伸びる舌状台地が有明海に伸びる、先端の一角に城郭は形成されました♪
建保年間頃(1213年〜1219年)相馬中務庄司によって築かれたと云われていますが、それ以外は不明の城郭となります。天子神社の背後には堀切状の切通しがありますが、現在は農道となっている為、何とも言えません。
かつて、日出岡社とも呼ばれ、七浦郷の中の鎮守神として崇められました♪相馬中務庄司が日出岡社を城の守護社とし、天子宮と改めたと伝わります♪戦国時代、龍造寺隆信もこの神社を厚く信仰し、神楽料として山林を寄付しています♪江戸時代には佐賀本藩領となっていますが、今も神楽山と呼ばれる土地が残っています♪同江戸時代には伊能忠敬測量隊もこの地に来て宿泊しています♪
天子神社の祭神は農業の神である瓊瓊杵尊で天平年間(729年~748年)に日向国高千穂の大神を分祀して始まったと言われています♪9月の七浦秋まつりでは、佐賀県の重要無形民俗文化財に指定されている『音成の面浮立』が天子神社に奉納されます♪
ちなみに、この鹿島市南方にある、太良・多良の地名は平安時代初期(713 年以降)に編纂された肥前国風土記において当地を 訪れた景行天皇が食物が豊かに足りている豊足(ゆたたり、たらい)の村と表現された事に由来すると伝えます♪古くからある地名なのであります♪