たっちゅうさん(館中?)
たっちゅうさん(館中?)([鹿島城 周辺城郭])
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たっちゅうさん(館中?)の口コミ情報
2024年03月11日 龍馬太閤【備中の麒麟Z】
佐賀県の嬉野市にある【たっちゅうさん】♪館中?居館跡か?と思い口コミします♪塩田町下久間の低丘陵地に『館中さん』(たっちゅうさん)と呼ばれる笠塔婆(供養塔)が建っています♪
塩田より武雄に通じる道筋の農村集落(現下久間)にある、たっちゅうさん♪
この碑は、佐賀藩祖・鍋島直茂の兄である鍋島信房の二男・鍋島助右衛門茂治を祀る笠塔婆です♪この笠塔婆は高さ1メートルの方柱形で軸部の上に笠が置かれています♪慶長18年(1613年)鍋島助右衛門茂治は、佐賀藩・2代目の藩主・鍋島勝茂から藩規にふれた罪で切腹を命じられてしまいます。
この笠塔婆は正保2年(1645年)の三十三回忌に建てられています。
鍋島助右衛門茂治と云う人物は戦国時代、天正19年(1591年)〜慶長18年(1613年)頃まで久間城の城主をしています♪(※久間城の場所は現在も不明です。鬼楤城とも云われていますが、その真相は分かっていません)龍造寺家臣団として奮戦しています☆豊臣秀吉の朝鮮出兵に際しては、兄・鍋島茂正と共に鍋島勢の中軸として奮戦しています♪
朝鮮出兵時など加藤清正軍が苦境に陥った時はコレを助けて功績を挙げています♪
この事が縁となり加藤清正からの懇望により、鍋島茂治の長女を清正の家老に嫁入りするという約束ができました♪ですが、帰陣後、鍋島勝茂の代に入ると他国との縁組は御法度となってしまいます…。。この御法度の中…肥後国からは使者が来ていて約束通り、長女を嫁として連れて行かれました。
そんな中、佐賀藩では成富兵庫茂安が肥後国へ嫁に行った長女を連れ帰り、帰国。
長女は佐賀城下の朝日町の威徳院に籠められ結果、自害してしまいました…。。
藩法破りの責任を問われた鍋島茂治・織部父子も切腹を仰せ付けられ、殉死を希望する家臣18名と共に、一挙に屋敷で自害。現場は血みどろの大惨事だったと伝わります。。
鍋島助右衛門茂治が城主をした久間城ですが、現在もその城郭は発見されていませんが、記述にはその名前が見える久間城です♪
鍋島助右衛門茂治が治める前の久間城は、久間薩摩守盛種により築城された城で、武雄・後藤貴明の家臣団の砦であります♪
たっちゅうさん→館中→館の中(やかたのなか)♪久間城はもしかしたら、たっちゅうさんの高台を利用したものだったのかもしれません♪この場所の字名は久間とも残っていました♪