日鼓城
日鼓城([日在城 周辺城郭])
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日鼓城の口コミ情報
2022年09月15日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
佐賀県の武雄市にある【日鼓城】♪川古城の詰城か?ハタマタ支城群か?標高763mの八幡岳と標高518mの眉山が山裾を合わせる地点の台地上に城郭は存在しました♪別名を椎葉城とも呼びます♪
この日鼓城は橘薩摩氏の一族、備後守公泰の築城と伝わります♪
橘薩摩氏13代目・渋江公勢が明応年間に城域を拡張して居城としました☆
この渋江右馬頭公勢は橘薩摩氏の中興の祖で実地を回復して近隣の領主達を征服しています♪在地の馬渡氏も、その家臣となっています♪
伝承によると、大永7年(1527年)渋江右馬頭公勢は、その子、渋江公政と共に毒入りの葛湯を誤って飲んでしまい、落命☆
塚崎城の後藤18代目・後藤純明は、この渋江氏の落命により、日鼓城を急襲☆
渋江右馬頭公勢の嫡男・渋江公親は、母の生家である松浦党の領する岸岳城に逃れます☆渋江公親は、後に岸岳城主・波多氏と松浦平戸領主の援軍を率いて日鼓城を包囲☆
この時、後藤純明は塚崎城に居た為に渋江公親は奪還に成功しています☆
しかし、またまた後藤純明は日鼓城を攻め取り戻し渋江公親は肥後に逃れました☆
後藤純明は日鼓城を占領すると城を破却し、廃城となったとされています☆
現在、城郭の大半は畑(もう使っていなさそう)になっています☆東側には空堀が残っているのですが下草で全く分からなかった☆堀の端は山斜面に落ちているのですが竪堀状に人工的な手が入っている事が確認出来ました♪