直江兼続陣

直江兼続陣([名護屋城  周辺城郭])

名護屋城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「直江兼続陣」の地図・口コミがご覧頂けます。

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直江兼続陣の口コミ情報

2026年09月30日 龍馬備中守【】


佐賀県唐津市の鎮西町名護屋にある【直江兼続陣】♪文禄・慶長の役の際、太閤・豊臣秀吉が築いた巨大城郭である名護屋城を取り巻く、陣城の1城であります♪

直江兼続は、越後上杉家を支えた戦国時代屈指の名将・名政治家であります♪本来は1家臣である直江が1つの陣を構えるという事は、かなりの実力の持ち主という事が伺えます♪

この直江兼続という人物ですが…ざっくり纏めます♪永禄3年(1560年)越後国は越後上田庄に生まれます♪永禄7年(1564年)に上田長尾氏当主の政景が死去すると、上杉輝虎(謙信)の養子となった政景の子・顕景(後の上杉景勝)に従い春日山城に入り、景勝の小姓・近習として近侍したとも、仙桃院(謙信の実姉で景勝の母)の要望を受け幼い頃から近侍していたとも、言われています♪幼少の頃から上杉景勝に仕えていました♪
後に、上杉家臣団の中でも頭角を表し、軍事・政治・外交を一手に担っていきます♪豊臣秀吉からも高く評価され、上杉家は会津120万石の大大名となりました♪直江兼続には、出羽米沢に6万石(寄騎を含めると30万石)の所領が与えられています♪が、関ヶ原の戦いで、上杉家は西軍に属してしまい、敗戦後は米沢30万石へ減封されています。。その後には、米沢藩の治水や新田開発、産業振興を進め、藩の基礎を築きました♪
【愛】の前立てを付けた兜で知られますが、実際には知略と領国経営の手腕で名を残した、偉大な人物であります♪

さて、文禄・慶長の役での直江兼続は、1592年の文禄の役では、主君・上杉景勝に従って肥前名護屋へ集結し、その後、朝鮮へ渡海しています♪
直江兼続は戦闘だけでなく、上杉軍の軍政や兵站(兵糧・物資の管理)、城の修築、軍勢の統率などの重要な役割を担った事でしょう♪実際に、景勝と共に熊川倭城を築城しています♪

1593年には名護屋へ帰陣し、その後1597年の慶長の役でも再び出兵しています。が、慶長3年(1598年)8月18日に豊臣秀吉が伏見城で死去すると、朝鮮にいた諸大名は撤兵を開始し、景勝・兼続も日本へ戻り、その後は伏見城で行われた豊臣政権の重要な会議や政務に参加しています♪

直江兼続陣は、主君・上杉景勝陣の西隣に配置されています♪約130m×150mほどの大規模な陣屋であり、大名並みに大きかった事が分かっています♪特徴としては、石垣・土塁・曲輪が良好に残り、海に近く、船での物資輸送にも適した立地でありました♪名護屋城周辺の陣跡の中でも、石垣の保存状態が非常に良く、上杉家の高い築城技術がうかがえる貴重な遺構であります♪

名護屋では『陣=宿営地』ではなく、秀吉の朝鮮出兵に伴い築かれた、城郭を備えた一時的な軍事都市であったと見ることで、各陣が置かれた環境や地形、そして名護屋城との関係性などを考察することができ、より深く楽しむことができます♪

九州オフ会の一コマでした〜♪

2026年01月04日 生駒近江守江現蔵


直江兼続陣は、豊臣秀吉の文禄の役での朝鮮出兵における国内の出兵拠点としてに肥前国、名護屋城周辺に築かれた陣城の1つです。

愛の兜で知られる直江兼続は、上杉景勝の重臣で越後国与板城5万3千石の領主でした。文禄の役では景勝と一緒に渡海しています。11月下旬の3連休初日、晴天で少し暑い九州オフ会での陣城5城目です。

場所は名護屋城の北西に位置し、主君上杉景勝陣の西側にあります。元々は整備されていませんでしたが、地元の城友さんが整備してくれたので、見学する事ができました。

コンパクトですが、石垣遺構が多く残り、特に郭にある高石垣は見事です。海も見えました。普段は私有地のため入れませんが、今回のオフ会で貴重な遺構を見せて頂き、城友さんに感謝です。

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