南部信直陣

南部信直陣([名護屋城  周辺城郭])

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南部信直陣の口コミ情報

2025年12月07日 龍馬備中守【】


佐賀県唐津市の鎮西町名護屋にある【南部信直陣 】♪文禄・慶長の役の際、太閤・豊臣秀吉が築いた巨大城郭である名護屋城を取り巻く、陣城の1城であります♪南部信直は陸奥国の武将で、南部氏第26代当主であります。盛岡藩の藩祖と言われています。

天文15年(1546年)南部家の第22代当主・南部政康の次男・石川高信の庶長子として、岩手郡一方井城で生まれた、南部信直です。第24代当主・南部晴政には男児がいなかったため、南部信直は、その長女の婿となっています。が、しかし晴政と妾の間に南部晴継が誕生した事により、南部晴政から疎まれる様になり、南部晴政の長女が早世すると更にその関係は悪化し、南部信直は相続を辞退しています。その後、25代目・南部晴継が若くして死去。相続問題が勃発していきます。

後継者を巡り、一門郎党の大評定が行われています。南部家の古い慣習では、相続人がいない場合、八戸家から養子を迎える事になっていたのですが、当時の八戸家にその余裕はありませんでした。八戸家も一族の新田家から幼い養子を迎えて、かろうじて相続している状況だったのです。他の有力候補として、晴政次女の夫である九戸実親(九戸政実の弟)を推す声と、南部信直を推す声とで二分します。結果的に第26代目として南部信直が三戸城に入城しています。

豊臣政権下では、南部信直は家臣である北信愛の進言によって、秀吉からの信任が厚い前田利家と交流します。以降、前田利家が秀吉との取次を受け持っています。秀吉から小田原参陣命令がくると、南部信直は小田原へ。秀吉に謁しますが、既に津軽は津軽為信に与えられていた後でした。当時、南部信直と津軽為信は交戦中であり、小田原へ1千兵を連れて参陣した南部信直に先駆け、小田原への途上の沼津(三枚橋城)で秀吉に謁見を果たしていた津軽為信は、石田三成、羽柴秀次、織田信雄を介しての釈明が認められ、独立した大名として認知されることに成功しています。南部信直に対して、秀吉も今更間違って朱印状を出したともいえず、代替地のつもりで南部信直には志和、和賀、稗貫、岩手、閉伊を加増しています。天正19年(1591年)九戸政実の乱が起きます。この乱は、主君である南部信直と奥州仕置を行う豊臣政権に対した反乱であります。
豊臣秀次を総大将とした6万人とも云われるの援軍が、秀吉から派遣されます。南部信直も、奥州仕置軍として参戦しています。

そして文禄元年(1592年)朝鮮出兵となっていくのです。南部信直は当時、病身をおして肥前名護屋城に参陣しています。渡海を待っていましたが、朝鮮との交渉は秀吉の思った様に進まず、休戦となった為に帰国しています。
南部大膳太夫(信直) 二百騎。

現在、南部信直陣は畑となっています。
一部小高く取り残された部分に土塁が残っています。また、土塁の下は、空堀状の窪地が残っていました。

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