片桐貞隆陣
片桐貞隆陣([名護屋城 周辺城郭])
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片桐貞隆陣の口コミ情報
2025年12月09日 龍馬備中守【】
佐賀県唐津市の鎮西町名護屋にある【片桐貞隆陣】♪文禄・慶長の役の際、太閤・豊臣秀吉が築いた巨大城郭である名護屋城を取り巻く、陣城の1城であります。その名前の通り、片桐貞隆の陣になります。隣接する陣としては、北に松浦鎮信陣、西に波多信時陣、南東側には那須資晴陣があります。
片桐貞隆は永禄3年(1560年)近江国にて片桐直貞の次男として生まれています。兄は、賤ヶ岳の七本槍の一人に数えられた片桐且元であります。天正8年(1580年)21歳の時に豊臣秀吉に仕え、播磨国揖東郡に150石の采地を与えられています。天正13年(1585年)には山城国枇杷庄に4千石を与えられ、同年に従五位下・主膳正に叙任され、その後、天正18年(1590年)小田原征伐や天正20年(1592年)文禄の役に従軍し、秀吉に忠義を尽くしました。文禄の役の際、名護屋に在陣した片桐主膳貞隆は、二百騎で陣を構えています。慶長の初め頃には、播磨国揖東郡に1万石を知行しています。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いでは西軍に属して、大津城の戦いに参加していますが、所領は安堵されています。
慶長19年(1614年)大野治長と共に、徳川家康の口添えで5千石を秀頼より加増され、その礼として、大野治長と共に駿府にいる大御所である家康、次いで江戸の将軍徳川秀忠を訪ねていますが、大坂に戻ってくるなり方広寺鐘銘問題が噴出し、これを契機に家康との内通を疑われる様になり、兄と共に豊臣家の下を去って家康に仕える様になります。大坂夏の陣の後の1615年、大和国小泉に1万6千石を知行しています。
片桐貞隆陣は現在畑になっています。土塁が一部残っているみたいですが、畑なので分からず仕舞いでした。アナグマが突然現れて、こっちに向かって走ってきましたw









