松浦鎮信陣
松浦鎮信陣([名護屋城 周辺城郭])
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松浦鎮信陣の口コミ情報
2025年11月25日 龍馬備中守【】
佐賀県唐津市の鎮西町名護屋にある【松浦鎮信陣】♪文禄・慶長の役の際、太閤・豊臣秀吉が築いた巨大城郭である名護屋城を取り巻く、陣城の1城であります。この名護屋城がどれ程巨大だったか?というと、大坂城の次に巨大な城郭といったら分かりやすいでしょうか?いずれにせよ、当時、この名護屋城がある山(勝山)は何にも無い場所でありました。1000人程度の漁村だったこの場所に、突如として登場した最新式の城郭に、諸大名の陣城。20万人を超える人の数、更には町屋の形成が成された訳で、元々この付近に住んでいた人々はビックリした事でしょう。
この丘陵は元々、勝男山、垣添と呼ばれていて、松浦党・波多三河守信時の家臣である、名護屋越前守経述の居城(垣添城)があったとされています。
名護屋城は、文禄元年(1592年頃)に築城されています。東松浦半島の北端に位置し、文禄・慶長の役の軍事拠点となりました。
城郭が立地する場所は、上場台地と呼ばれる、波状形卓状台地が玄界灘に向かって突き出した、波戸岬の付け根にあたる、標高90mの丘陵上です。東西両側には、名護屋浦と串浦の2つの入り江が広がります。外征の基地になった城郭なだけに、その規模はとにかくデカいです。名護屋浦、串浦は軍船、商船の港として利用されました。
松浦鎮信は、肥前国平戸の領主であります。名護屋城の諸将の配陣の中で、地元の肥前の諸将は、串浦東岸にやや集中して配陣されています。松浦鎮信陣も同様で、近隣には同じく肥前国の波多氏・鍋島氏の陣があります。特に波多氏は松浦氏にとっては主家にあたり、南隣りに陣が引かれているのは、同族の関係によるものでしょう。松浦鎮信は松浦党の系統をくみ、当時、6万石をもって肥前平戸を領していました。文禄の役では、一番隊として小西行長と共に渡海して戦っていて、3千騎を率いて参陣したとされます。









