足利義昭陣

足利義昭陣([名護屋城  周辺城郭])

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足利義昭陣の口コミ情報

2024年10月05日 龍馬備中守【】


佐賀県唐津市の鎮西町名護屋にある【足利義昭陣とNO.127陣】♪名護屋城からは北側の、小高い丘陵地の上、現在『少年自然の家』がある場所が足利義昭の陣跡となります♪石塁が残っているとされていますが現在、自然の家がある為よく分かりませんでした♪南側の丘陵地は氏家行広陣、丘陵地の下には蒲生氏郷陣、直ぐ東側には誰の陣か不明とされている『NO.127』があります♪名護屋城を密集して取り巻く、陣所の一陣となっています♪

足利義昭は、室町幕府第15代征夷大将軍として有名ですね♪そして、室町幕府の最後の将軍でもありました。
織田信長に擁されて上洛し、第15代将軍に就任していますが、その後に信長とは対立し、武田信玄や朝倉義景、浅井長政らと呼応して信長包囲網を築き上げています。一時は信長を追い詰めもしますが、やがて京都から追われていき、室町幕府の滅亡という物語りを辿っていく武将です。京都を追われながらも、将軍としての活動は続けていき、毛利元就に庇護を受けながら鞆幕府(鞆の浦)を作り信長に対抗していきました。信長死後は、着実に力を付けていく豊臣秀吉から、山城国槙島に1万石の所領を認められ、事実上、秀吉に従っています。
従っているという表現が良いのか?庇護を受けたという表現が良いのか??難しい所です。但し、前将軍としてその待遇は特別だった様です♪

そんな足利義昭も、文禄の役では、秀吉の要請によって名護屋城に在陣しています♪
足利義昭は慶長2年(1597年)、大坂で亡くなっていますが。。老齢で肥前まで出陣したのが身にこたえたのでしょう…。

あまりにも写真がない為、『NO.127』の写真も上げておきます♪誰の陣かは不明ですが、石塁の残片が残っていました。

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