伊藤盛景陣
伊藤盛景陣([名護屋城 周辺城郭])
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伊藤盛景陣の口コミ情報
2024年07月03日 龍馬備中守【】
佐賀県唐津市の鎮西町にある【伊藤盛景陣】♪名護屋城を取り巻く150余の陣跡の一陣となります♪
伊藤盛景は美濃国•舟岡城主の伊藤祐重の子で、豊臣秀吉に仕えています♪天正18年(1590年)小田原の役に従軍していて、秀吉本陣の前備衆の1つで、320人を率いた武将です♪その後は3万石に加増され、美濃国・大垣城を与えられています♪
伊藤盛景は天正20年(1592年)名護屋城普請と、文禄3年(1594年)の伏見城普請工事に携わりました♪文禄の役では名護屋在陣衆として1000人余兵を率いて滞陣しましたが、朝鮮へは出征していません。
この伊藤盛景の死後、子である伊藤盛正は関ヶ原の戦いで西軍に付いています。本城の大垣城を本陣にしたいと石田三成から要請を受けましたが、コレを一度は拒否しますが、後に大垣城を明け渡し、美濃国・今村城に退去しています。
関ヶ原本戦では、松尾山城に陣するも、小早川秀秋によって追い出され戦後、改易され没落しちゃいました。その後、京都で浪人をしている時、徳川家康に見つかり殺されそうになった所を、福島正則の懇願により助けられ、往時の福島正則の領地・広島で15年程滞在しました♪関ヶ原の戦いから20年後の元和6年(1620年)加賀藩へ移り、前田利常に仕えました。