真田信之陣
真田信之陣([名護屋城 周辺城郭])
名護屋城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「真田信之陣」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
真田信之陣の口コミ情報
2023年06月25日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
佐賀県の唐津市にある【真田信之陣(源吾)】♪宅地化、耕地化している場所ではありますが、丘陵地が残り、北には名護屋浦が広がります♪文禄・慶長の役の際には信濃国・真田家も出陣しています♪真田昌幸を父とする、長男・真田信之、次男・真田信繁(幸村)が有名ですね♪
天正17年(1589年)真田昌幸は徳川家康に臣徒した際、家康に出仕します☆
天正14年(1586年)に家康の養女になっていた本多忠勝の娘(小松姫)を妻としていました♪
天正20年(1592年)の文禄の役では名護屋に在陣(700騎で)しましたが、実際は渡海してません☆
文禄3年(1594年)徒五位下、伊豆守に叙任し豊臣姓を賜っています♪
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いでは、挙兵した石田三成方には付かず家康に従いました♪関ヶ原の戦いは家康の勝利で終わり、父・真田昌幸の旧領上田を含めて加増され、9万5千石を拝領しています♪この際に『信之』に改名を行いました♪慶長19、20年(1614年)大坂冬の陣・夏の陣では病床にあって、子の真田信吉・信政を参陣させています☆
元和8年(1622年)には信濃国・松代に移封され松代領10万石と沼田領3万石を賜ります♪明暦2年(1656年)松代領を真田信政に、沼田領を信吉の子・真田信利に譲り隠居☆
万治元年(1658年)松代で93歳の生涯を遂げています☆この時代にはかなりの長寿であった真田信之でありました♪
クランクする道は堀切の名残か?怪しい箇所はありますが、耕地化されている為、イマイチ分かりませんでした☆