豊臣秀保陣
豊臣秀保陣([名護屋城 周辺城郭])
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豊臣秀保陣の口コミ情報
2026年01月04日 生駒伊予守江現蔵✿ツアー
豊臣秀保陣は、豊臣秀吉の文禄の役での朝鮮出兵における国内の出兵拠点としてに肥前国、名護屋城周辺に築かれた陣城の1つです。
秀保は豊臣秀次の弟にあたり、秀吉の弟秀長の養子となり家督を継ぎ、大和中納言と呼ばれた人物です。文禄の役では15,000人の兵を率いて名護屋城に参陣。渡海していませんが、大和国郡山城主で110万石の大名でした。
11月下旬の3連休初日、晴天で少し暑い九州オフ会での陣城4城目です。場所は先ほど散策した堀秀治陣の道路を挟んで西側なので、駐車場はそのままで見学出来ます。
陣跡の中でも最大級の広さで、名護屋城に匹敵するほどの広大な敷地。東西2郭に分かれていて、周囲に石積みが残っています。鏡石のような石を発見しましたが、裏に回って見ると5㎝ほどの薄さでした。
特別史跡として最初に調査、整備された陣で、説明板には羽柴秀保陣跡とありました。虎口、矢穴もあり、城友さんと楽しい30分の散策でした。
2023年07月01日 龍馬備中守【】
佐賀県の唐津市にある【羽柴秀保陣】♪大和中納言秀保の陣城は総石垣で守られています♪
名護屋城からは南西側♪鍋島直茂陣の北側で堀秀治陣の西側に対峙する丘陵上に陣城は存在します♪地元の方々は鉢畠と呼ぶ場所です♪羽柴秀保は、三好吉房の三男で、秀吉の弟・大和中納言秀長の養子です♪大和中納言秀長が死去した後は遺領である大和郡山を治めています☆
羽柴秀保は文禄の役の際の文禄4年(1595年)に16歳の若さで病没していて、慶長の役には参陣していません☆
絵図などにも残されている羽柴秀保陣ですが、現存状況は非常に良く残っています♪
この羽柴秀保陣の絵図は2つ残っていて、松浦記集成の『名護屋城並諸候陣跡之図』と『肥前名護屋城図屏風』があります♪
松浦記集成の絵図には羽柴秀保陣は2つに分かれて、鉢畠に1万騎、更にはその北側の山ノ神という地名の丘陵にも豊臣秀保の中屋敷があります♪豊臣秀保陣は、第一陣、第二陣と分かれていたのかもしれません♪
鉢畠という地名は現在も残っていて、地元では『鉢畠陣』とも通称されています♪
石垣で築かれた枡形虎口は中々大きくて見応えがあります♪









