木村重隆陣

木村重隆陣([名護屋城  周辺城郭])

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木村重隆陣の口コミ情報

2025年12月08日 龍馬備中守【】


佐賀県唐津市の鎮西町名護屋にある【木村重隆陣】♪文禄・慶長の役の際、太閤・豊臣秀吉が築いた巨大城郭である名護屋城を取り巻く、陣城の1城であります。木村重隆陣は加藤清正陣の南東、片桐且元陣の南西に位置します。
名護屋城からは西南側の丘陵上に位置し、外観は比較的、目立つ地形の上にあります。名護屋城から直ぐの丘陵地ですが、同丘陵地内には木下勝俊陣、片桐且元陣など存在します。

この木村重隆は、越前国府中12万石の大名であります。木村定重の子として誕生した、木村重隆です。元亀元年(1570年)金ヶ崎の戦いでは木下秀長旗下として出陣して、蜂須賀正勝、前野長康、加藤光泰に次ぐ武功を上げたという人物であります。天正11年(1583年)父・定重の死去により家督を継ぎます。同年、賤ヶ岳の戦いでは羽柴秀吉(豊臣秀吉)方として参戦し、近江国は堂木山砦の守将を務めました。

天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いにも参加していて、その功績によって、秀吉より越前国府中に12万石を与えられています。
天正15年(1587年)九州征伐にも参戦し、活躍しています。
更に天正18年(1590年)小田原征伐では豊臣軍の先鋒を務め、武蔵国・岩槻城攻略で武功を挙げました。続く奥州仕置でも出羽国の検地を担当していて、葛西大崎一揆征伐においては、豊臣秀次に従い武功を挙げています。
頭角を表す木村重隆は、この頃より豊臣秀次付の家老となっています。

文禄元年(1592年)文禄の役では3500の兵を率いて朝鮮に渡海していて、この時の陣城となります。朝鮮出兵時の、国内における最前線である肥前名護屋城。『木村重隆陣』は発掘調査が行われていて、トイレ遺構などが、確認されています。名護屋城に残る諸大名の陣城の中では、比較的高石垣で構成されている印象でありました。

木村重隆は、これらの武功を秀吉より賞されていて、山城国の淀18万石に加増移封されています。ただ、木村重隆の登り坂もここまで…。
文禄4年(1595年)秀次事件で豊臣秀次を弁護した事により、秀吉から秀次の与党として連座の罪に問われていきます。同年の文禄4年に摂津国、茨木の大門寺において自害を命じられてしまいました。長男・木村高成も切腹させられ梟首されたほか、娘も磔にかけられたと伝わります。子である木村重成は、幼年の為に罪に問われる事なく、豊臣秀頼の家臣として仕え、慶長20年(1615年)大坂夏の陣で戦死しています。

文禄・慶長の役時、木村常陸之助(重隆) 三千五百騎。

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