九鬼守隆陣跡

九鬼守隆陣跡([名護屋城  周辺城郭])

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九鬼守隆陣跡の口コミ情報

2021年12月05日 龍馬備中守【】


佐賀県の唐津市にある名護屋城の陣城廻りの【九鬼守隆陣跡】♪九鬼守隆は志摩鳥羽藩初代藩主様です☆九鬼氏12代当主となります☆一昨日口コミした九鬼嘉隆を父に持つ九鬼水軍を束ねた当主となります☆
名護屋城に陣を張った時の九鬼家当主は父・九鬼嘉隆でしたが後に家督を継ぎました☆
文禄の役では九鬼嘉隆・守隆は舟手衆として水軍を率い渡海して戦っています☆

秀吉による朝鮮出兵の後は豊臣秀頼から徳川家康に主君を代えて行きました☆以後は徳川家に支えています☆
主君・徳川時代には会津征伐に従軍していて石田三成の挙兵で関ヶ原の戦いが勃発すると急遽国許に戻りました☆
が、しかし父の九鬼嘉隆は鳥羽城にてまさかの西軍方に与していて関ヶ原戦後は息子である九鬼守隆は徳川家康に父の助命を嘆願したりと奔走しています☆
助命が認められると父・嘉隆に使者を派遣します☆が、、しかし、それより前に九鬼家の行く末を案じた九鬼家臣・豊田五郎右衛門は独断で父・嘉隆に切腹するよう促していて、これを受けた嘉隆は自害しちゃいます☆嘉隆の首級が家康の首実検の為に伏見城に送られる途中の伊勢明星で子・守隆の派遣した急使に嘉隆の死を確認されます…☆
これを知った九鬼守隆は激怒☆
豊田五郎右衛門を鋸挽きで斬首のうえ晒首にしました…
その後の九鬼守隆は鳥羽藩の初代藩主として5万6000石を領しています☆九鬼水軍を率いて大坂の陣を戦い抜き江戸城の築城時は木材や石材を海上輸送して江戸幕府に協力しています☆その後、病弱だった九鬼守隆・長男の良隆を廃嫡して仏門に入っていた五男・久隆を還俗させて後継者にしようとしましたが三男の隆季はこれに反対しました☆九鬼家中が千切れていくキッカケになります☆そして九鬼守隆が死去すると…直ぐに家督争いが起こりました☆鳥羽藩内は久隆派(弟)と隆季派(兄)に二分化☆幕府の命令によって九鬼守隆の遺言どおりに弟の久隆が跡を継ぎしたが2万石を削られた上に摂津三田に移封されていきました☆更に兄の隆季には徳島家光の命で丹波に新たに2万石が与えられていて綾部藩を確立しました☆九鬼兄弟が与えられた両地とも海から離れていて九鬼家からは水軍力は失われていきました☆
そんな九鬼守隆が陣張った場所になります☆
削平地、虎口状の開き、堀底状の動線が残ります☆石積みもあったけど…後世のものかな〜☆

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