生駒親正陣
生駒親正陣([名護屋城 周辺城郭])
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生駒親正陣の口コミ情報
2026年01月04日 生駒伊予守江現蔵✿
生駒親正陣は、豊臣秀吉の文禄の役での朝鮮出兵における国内の出兵拠点としてに肥前国、名護屋城周辺に築かれた陣城の1つです。
文禄の役では讃岐国高松城城主17万3千石の大名で、5,000人の兵を率いて名護屋城に参陣。文禄の役、慶長の役ともに渡海して戦い多くの戦功を挙げています。生駒親正が丸亀城を築城するのはその後になります。
11月下旬の3連休初日、九州オフ会解散後の日没、本日最後の陣城7城目です。場所は名護屋城の北西に位置し、先ほど訪城した島津義弘陣の北東にあります。
波戸岬の小高い丘に築かれていて、郭からは海が見えます。内部は土塁や石積みが点在していて、郭を区画する石類もあり、特別史跡として整備されていて遺構の残存度も抜群です。日没後なので城友さんのように映える写真は撮れませんでした。
讃岐国で生駒を名乗っているので、どうしても見ておきたかった生駒親正陣、駐車場も有り公園になっていて地元の人の犬の散歩にも最適。島津義弘陣まで足を伸ばしたなら、すぐそこなので、是非訪城してください。
2024年09月21日 龍馬備中守【】
佐賀県唐津市の鎮西町波戸にある【生駒親正陣】♪文禄・慶長の役の際に名護屋城を築いた豊臣秀吉ですが、この名護屋城を取り巻く陣城群の1城となります♪生駒親正といえば、豊臣政権の三中老の1人として有名です♪
当初の主君は織田信長でありますが、後に豊臣秀吉、子の秀頼と主君が変わっています♪
織田信長時代の永禄9年(1566年)、織田信長の美濃攻めに際して、その臣下となっています♪その後は羽柴秀吉付属の武将に任じられ、各地を転戦。金ヶ崎の戦いや、長篠の戦い、石山本願寺攻め、紀伊国雑賀攻めなどに参加しています。
天正10年(1582年)、信長死後は秀吉の家臣となった生駒親正ですが、山崎の戦い、賤ヶ岳の戦い、小田原征伐、そして文禄の役などに参加して活躍をしています♪姫路城主時代の秀吉に仕えていた天正6年(1578年)、約1000石から始まり、天正12年(1584年)に2000石加増♪天正13年(1585年)に2万3500石、更に天正14年(1586年)、播磨国加里屋6万石と、着々と知行を増やしていった実力者であります♪
生駒親正は文禄の役の時には讃岐国・高松城主として、17万3千石の大名となっています♪
文禄の役では五番隊として、福島正則、長宗我部元親らと共に渡海し戦っています。
生駒親正陣は現在、波戸岬海浜公園として利用され、石塁を残しています♪北側には玄界灘が広がり、天気が良ければ、遠く壱岐も望めます♪
2022年05月25日 ᴿᴱᴰ副将軍
生駒親正が朝鮮出兵に際して名護屋城に着陣した際の陣跡🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1593年の秀吉による朝鮮出兵に際して生駒親正が造営した陣城。文禄の役では五番隊として嫡男の生駒一正と5,000の兵を率いて参陣。福島正則、長宗我部元親らとともに渡海し戦いました。各地に転戦し、生駒水軍の名を轟かせました。
見所
玄海国定公園として整備されています。主郭は石塁、土塁が巡り、南西側に虎口が開口。櫓台も敷設されています。









