生駒親正陣
生駒親正陣([名護屋城 周辺城郭])
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生駒親正陣の口コミ情報
2024年09月21日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
佐賀県唐津市の鎮西町波戸にある【生駒親正陣】♪文禄・慶長の役の際に名護屋城を築いた豊臣秀吉ですが、この名護屋城を取り巻く陣城群の1城となります♪生駒親正といえば、豊臣政権の三中老の1人として有名です♪
当初の主君は織田信長でありますが、後に豊臣秀吉、子の秀頼と主君が変わっています♪
織田信長時代の永禄9年(1566年)、織田信長の美濃攻めに際して、その臣下となっています♪その後は羽柴秀吉付属の武将に任じられ、各地を転戦。金ヶ崎の戦いや、長篠の戦い、石山本願寺攻め、紀伊国雑賀攻めなどに参加しています。
天正10年(1582年)、信長死後は秀吉の家臣となった生駒親正ですが、山崎の戦い、賤ヶ岳の戦い、小田原征伐、そして文禄の役などに参加して活躍をしています♪姫路城主時代の秀吉に仕えていた天正6年(1578年)、約1000石から始まり、天正12年(1584年)に2000石加増♪天正13年(1585年)に2万3500石、更に天正14年(1586年)、播磨国加里屋6万石と、着々と知行を増やしていった実力者であります♪
生駒親正は文禄の役の時には讃岐国・高松城主として、17万3千石の大名となっています♪
文禄の役では五番隊として、福島正則、長宗我部元親らと共に渡海し戦っています。
生駒親正陣は現在、波戸岬海浜公園として利用され、石塁を残しています♪北側には玄界灘が広がり、天気が良ければ、遠く壱岐も望めます♪
2022年05月25日 RED副将軍
生駒親正が朝鮮出兵に際して名護屋城に着陣した際の陣跡🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1593年の秀吉による朝鮮出兵に際して生駒親正が造営した陣城。文禄の役では五番隊として嫡男の生駒一正と5,000の兵を率いて参陣。福島正則、長宗我部元親らとともに渡海し戦いました。各地に転戦し、生駒水軍の名を轟かせました。
見所
玄海国定公園として整備されています。主郭は石塁、土塁が巡り、南西側に虎口が開口。櫓台も敷設されています。