木下延俊陣
木下延俊陣([名護屋城 周辺城郭])
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木下延俊陣の口コミ情報
2023年07月05日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
佐賀県の唐津市にある【木下延俊陣】♪リニューアルした名護屋城博物館直結という好立地に陣城は存在します♪装備無しで行けて、陣城とは?と、知識が無い方でも楽しめる場所となっています♪
木下延俊は天正5年(1577年)木下家定の三男として尾張国で生まれています♪
秀吉とは直接的な血の繋がりはありません♪
が、木下延俊は高台院が最も寵愛した甥であります♪父である木下家定は豊臣秀吉の正室である高台院(北政所)の兄です♪
文禄の役頃は播磨国・三木郡の2万石を所領していました♪文禄3年(1594年)には伏見城の築城普請を分担してもいます♪
名護屋城の直ぐ南側にある木下延俊陣は直下にある軍用道(太閤道)を守ったのでしょう♪木下左衛門尉(延俊) 250騎♪
時は進み慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで石田三成が挙兵した際は、木下延俊は姫路城に居て義兄・細川忠興の助言でただちに駿府へ家臣を派遣しました♪そして徳川家康に忠誠を誓い交通の要である姫路城を献じるなど当初より東軍に属しました♪この活躍により豊後国・日出3万石の大名となっています♪
慶長11年(1606年)には木下延俊は江戸城普請に参加していて虎ノ門の石垣工事を指揮しました♪更に慶長19年(1614年)の工事にも加わり合計3度の江戸城普請に自ら参加し、徳川家に忠誠を尽くしています♪
同年の冬の大坂の陣にも徳川方として出陣♪更には夏の大坂の陣にも参陣しました♪
この陣に残る遺構としては敷石建物、玉石敷きなど御殿に関する遺構や雪隠遺構、飛石列などの『茶の湯』に関連する遺構が発見されています♪
名護屋城に行かれた際には是非是非♪