鍋島藩窯関所
鍋島藩窯関所([住吉城 碑・説明板])
住吉城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:碑・説明板)、「鍋島藩窯関所」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
鍋島藩窯関所の口コミ情報
2025年01月04日 龍馬備中守【】
佐賀県伊万里市の大川内山にある【鍋島藩窯関所と伊万里関所】♪伊万里と言えば、伊万里焼が有名ですね♪伊万里焼とは、本来は西肥前一帯で焼かれた磁器の総称でありました♪江戸時代には伊万里港から積み出され、日本国内は勿論、遠くヨーロッパまで輸出されています♪
積出港の伊万里津(港)に由来し、国内外で『イマリ(IMARI)』と呼ばれました♪のちに有田焼、伊万里焼、波佐見焼など、産地別の名前で呼び分けられるようになっています♪大川内には、現在も焼物屋さんが軒を連ねます♪
佐賀藩の藩祖である鍋島直茂は、戦国時代末期、豊臣秀吉の朝鮮出兵に参陣した際に、朝鮮から多くの陶工を佐賀へ連れ帰りました。これにより、このエリア(伊万里や有田)では焼物の文化が根付いた事が始まりとなります♪朝鮮出身の李参平(日本名は金ヶ江三兵衛)は、有田の泉山で磁器の原料となる陶石を発見し、元和2年(1616年)有田東部の天狗谷窯で磁器焼造が始まったと伝わります♪
磁器焼造の第一期は同エリアである有田内山(現西松浦郡有田町)を中心とした岩谷河内時代で、おおむね寛永5年(1628年)〜万治3年(1660年)頃を中心として栄えました♪染付類や青磁類が主で、随時に特注品を焼成しています♪組織づけられた御細工場は設けられていません♪1640年頃から、鍋島藩は将軍家・諸大名などへの贈答用高級磁器を製造し、藩窯の経営を開始します♪この藩窯製品は『鍋島様式』や『鍋島焼』と呼ばれています♪
第二期は南川原山(現西松浦郡有田町)時代で、寛文元年(1661年)〜延宝3年(1675年)♪この期間に藩窯としての基礎づけがなされたと考えられています♪
そして、第三期がこの大川内山時代で、延宝3年にこの地に移り、本格的に藩窯として御道具山(朝廷、将軍家、諸大名への献上、贈答用や佐賀城内の日用品を製造する場所)の工場が設けられました♪有田内山に近いこの場所は、諸国の商人や旅人も多く往来する為に安定した地点として大川内山の二本柳の地点を選び、また青磁釉の原料鉱床があったことも移動の要素であった様です♪佐賀藩はこの陶磁器文化を大切にしたのです♪
大川内山の窯元一帯を『秘窯の里』とも呼び、江戸時代には製作技法が外に漏れないようにする為に、入口に番所(関所)を設けて外部の侵入を阻止するなど、厳重に管理する事を徹底しました♪高度な技法が流出するのを防いでいたのです♪
皿山代官旧記覚書には『市野瀬山口屋御番所番衆中』に宛てた掟として、
一、焼物を持ち出す時、庄屋手形・目付役副印を見届けて通せ。
一、焼物土目籠荷駄荷其の外課税品を持ち通る時手形札を改めよ。
一、外山より内山(有田内山)へ焼物を取り寄せる時は口屋番の手形目付役副印を見届けよ。
一、諸請物はみだりに持ち入るを許すな。定外の持分は番所留置のこと。
一、外山用の焼物土を誘出持ち通る時は、何山之庄屋何某と書いた帳と番判印を見届けよ。
一、抜荷とみられる荷が通過するので昼夜油断なく入念に相改めよ。
ー、狼藉者・喧嘩は番所に留め早速会所へ届出のこと。
…と、その任務や番所設置の目的が示されています♪今なお生きる文化や伝統♪繋ぎ続けられて今がある♪今後も強く残って欲しい佐賀の焼物文化です♪