小通砦

小通砦([須古城  周辺城郭])

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小通砦の口コミ情報

2024年02月18日 龍馬備中守【】


佐賀県の杵島郡にある【小通砦】♪小通集落にあったクリーク城館となります♪現在、小通砦には僅かに堀割の跡?が残る程度でその他に遺構は残りません☆

標高467mの聖岳を多久との北の境にして、北側には長崎街道が走り、東西に六角川が蛇行しながら東流し有明海に流れ出します♪
蛇行する六角川が砦の東西、南側を囲います♪更に六角川の南側には白石平野が広がります♪長崎街道に通じる小道があった為、小通と云う名前になったと考えられています♪

平安時代後期は、蓮華王院領、鎌倉時代には大町庄となり、宇佐八幡宮の社領です♪
室町時代には橘薩摩氏の一族である牛島氏の所領となっていますが、戦国末期より龍造寺領となっています♪

この砦が築かれたのは永禄6年(1563年)龍造寺隆信が、有馬氏との抗争の最中による築城と思われます♪立地的に南側の六角川を天然の堀として、戦った事でしょう♪

同永禄6年(1563年)丹坂峠の戦いで有馬軍に勝利した龍造寺隆信は、その後、西肥前へ侵攻を掛けています☆
有馬方であった須古城の平井氏を攻めます ☆第一次須古城攻めです☆龍造寺隆信は福母の北小山に陣を張り、その南の六角川沿いに諸勢を備えました☆小通砦はこの一環なのでしょう☆一方、須古城主・平井経治は佐嘉勢が攻め寄せると聞くと、一族の川津経忠、平井刑部大輔、本田純秀、本田純親、白石純通らを遣わし福母の大橋口で防戦させました☆第一次の際は平井勢の猛攻にあい、龍造寺勢は退いています☆この時に大友方が佐嘉へ攻め入るという注進もあり、龍造寺隆信は佐嘉城に引き上げました☆

この時、龍造寺氏は小通村の屋敷を砦に造り変え、佐留志城の前田氏、井元氏に守らせました♪今は集落のみが残っています♪

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