大崎館

大崎館([須古城  周辺城郭])

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大崎館の口コミ情報

2023年11月18日 龍馬太閤【備中の麒麟児】


佐賀県の武雄市北方町にある【肥前大崎館】♪現在は大崎八幡神社の場所となります♪北は多久に抜ける場所であり前多久氏の梶峰城♪東は白石方面で平井氏の須古城♪西は後藤氏の塚崎城♪南は橘薩摩渋江氏の塩見城♪という戦国時代には佐賀西部の諸将がひしめき合うエリアです♪低山に囲まれ、武雄から続く盆地内の北方には徳連岳☆徳連岳の南麓の低丘陵地に居館跡は存在します♪南側には武雄川と六角川が合流しています♪また、眼下には長崎街道も走ります♪

築城年など不明な大崎館ですが、城主は橘薩摩一族の大崎氏と考えられています♪

鎌倉時代、鎌倉御家人であった橘薩摩公業は嘉禎2年(1236年)長嶋荘の惣地頭として入部し泉台(現武雄市)に館を構えて土着しています♪
正安3年(1301年)には長嶋荘内大崎村を巡り橘薩摩公遠と橘薩摩公員(公蓮子息)、子の公綱とに相論が起こり、橘薩摩公員と公綱の大崎村知行が承認されています♪
コレによって橘薩摩公員と公綱の知行した長嶋荘惣地頭職は7か村の村地頭職に分割されて、大崎・大渡・河上の3ヶ村を上村として橘薩摩公員に志保・江・牛嶋・中村の4ヶ村は下村として後家に公蓮の死後相伝されています☆この橘薩摩公員系の橘薩摩氏の家系は、後に宮福氏・大崎氏・大渡氏等を称しています♪この大崎館の城主とされている、大崎氏の事です♪

戦国時代後期には、この橘薩摩一族が衰退した後に天正年間頃に龍造寺氏が平井氏(須古城攻め)、後藤氏との戦いの際に此処に砦を築いていたとも伝わっています☆

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