六角判官屋敷
六角判官屋敷([須古城 周辺城郭])
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六角判官屋敷の口コミ情報
2021年10月26日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
佐賀県の杵島郡の白石町にある【六角氏館】☆有明海の海退に伴い開拓された六角集落は室町時代には名族・須古城の平井氏の所領となります☆戦国末期には龍造寺隆信の領有へ☆更に江戸時代の初めには龍造寺系の須古鍋島氏の領有へと変化していきました☆
この六角集落の北側には地名の由来かな〜?六角川は大きく湾曲する南側に集落は存在していますが、鎌倉時代に水害防止の為に堀削したと伝承が残ります☆
有明海に流れ込む六角川ですが満潮時の逆流に対する速度を調節する為の工事だったのかなぁ〜?川の形が変です♪明らかに人的な力が加わってます☆
さてさて、この居館ですが『佐賀県の中近世城館』に六角氏の居館として登場しています☆この六角氏館ともう一つ近くに六角判官屋敷と2つあるのですが、何方が六角氏の居館か?分かってないんです☆六角氏館とされる場所は六角氏の墓がある場所と六角神社がある付近とされています☆
『杵島郡史』の六角神社明細書に『宇礼志乃某六角判宮として此地に来る』と残ります☆因みに此処で言う宇礼志乃は嬉野温泉で有名な嬉野の事でしょう☆
また六角集落にある延命寺の墓にある六角判宮の墓石には『周防守』と刻銘が残ります☆六角判宮は六角支配の役職名称です☆
龍造寺家の幕下であった六角喜左衛門の知行記録には『六角の城主』とも記されています♪集落全体が城館として機能したのでしょうね♪
江戸時代には長崎街道の宿場町、六角宿もあり佐賀藩主が杵島山での鷹狩りの際のお立ち寄り所となっていました☆更に文化3年(1806年)藩主・鍋島斉直が、長崎警固見回りにこの六角宿に宿泊したと記録が残ります☆集落を囲う様に濠の名残が残ります☆