男島城(小島城)

男島城(小島城)([須古城  周辺城郭])

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男島城(小島城)の口コミ情報

2024年12月13日 ʀᴇᴅ副将軍


須古城の東側を固める支城🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代や築城主等の詳細不詳。
須古城から東へ約400mに位置し、須古城の支城と考えられています。西側には杵島城が守りを固め3城が連携した防衛体制を確立していました。
須古城は天文年間(1532年〜1555年)に平井氏により築かれた居城でしたが、4度に渡る龍造寺隆信の侵攻により1574年に遂に須古城は落城。男島城には龍造寺信周が攻め寄せたとされます。
平井氏は滅亡し、龍造寺隆信は居城を須古城に移します。男島城も龍造寺氏の支配下となりました。

見所
比高約10mの低丘陵上に築かれています。
土塁や堀切の類は見当たらず、丘陵上を削平しただけの砦または見張り台という感じです。
周囲は低湿地帯であった様です。

2021年05月16日 龍馬備中守【】


佐賀県の白石町にある男島城☆呼び方によっては小島城とも呼びます☆龍造寺隆信の4度の猛攻により落城した平井氏の居城・須古城の支城になります☆
須古城の周辺には幾つか支城群が在って東側にこの【男島城】西側に【杵島城】と佐賀平野の中に独立丘が2つ残ります☆
往時、杵島城のある須古城の西側は百町牟田という低湿地帯に兵の展開は容易ではなく敵の侵攻ルートとなっていた東側の男島城が須古城を守る重要な拠点になっていました♪

第4次須古攻めによって須古城は落城してしまいます☆守るは平井刑部☆
攻め手は龍造寺隆信の異母弟「龍造寺信周」が約2千の兵を率いて男島城を攻撃☆
龍造寺隆信の重臣である鍋島直茂は北側で須古城の正面から攻撃に参加しました☆

第4次に至るまで、攻められた須古城☆それに支城群☆長く続いたこの戦いは須古城、男島城、杵島城の3つの城郭は強く連携を図り攻め手目線からは立地がいかに厳しかったかを物語ってます☆

杵島城側は低湿地帯になっている以上は須古城とこの男島城の間に城下町、集落を形成して須古城周りを守っていたんでしょうね☆(現在もこちら側に集落があり)
男島城から須古城に向かう途中に乱れ橋という橋が残ります☆
ここで数多くの犠牲者が出た様でこの名前が付いたと伝わります☆
即ち、須古城は男島城がある東側から崩れていったという事なんでしょう☆
その後は須古城は龍造寺隆信の隠居城となっていきます☆

遺構は削平地のみです☆ただ、見張るだけ、ただ、戦うだけの高まりだったのかな〜??

Google先生よりw黒マルの囲いは【杵島城】中央に須古城で西に【男島城】矢印の所にあるのは龍造寺の陣城で鍋島直茂の侵攻ルートは北側からです☆

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