乙宮山城

乙宮山城([梶峰城  周辺城郭])

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乙宮山城の口コミ情報

2024年02月17日 龍馬備中守【】


佐賀県の杵島郡の大町町にある【乙宮山城】♪鬼ノ鼻山(標高434m)を含む北側に存在する山塊は多久との境界線になります♪この山塊から東へ二又に伸びる南側の尾根の麓、丘陵地(標高64m)に乙宮山城は存在します♪南側は佐賀平野が広がり眺望は開け、眼下には長崎街道が走り街道は塩田や武雄(塚崎)へ向かう分岐点にあり、また北の多久へも向かう重要な要衝地となる場所にあったという事が分かります♪

さてこの乙宮山城ですが、築城年などは不明の城郭でありますが、その造りは中々技巧的であり主郭周りを掘られた横堀は段を付けて二重に築かれ横矢を掛け、土塁で囲み込み虎口を開口させます♪
戦国時代の後半まで使用された城郭と思われます♪

元亀年間(1570年~1573年)龍造寺隆信は弟の龍造寺信周を小田に置いて須古城の平井氏や有馬氏に備え守備しています♪
平井氏が、まだ須古城で守りを固めていた頃の、この小田エリアは特に、龍造寺氏と有馬氏の境目だったと思われます♪
幾度に渡り、須古城を攻めたてた龍造寺隆信ですが、第四次須古城攻めで遂に平井氏を須古城から陥落させると天正3年(1574年)龍造寺信周を小田から須古城へ移し、三根の中野城から馬場肥前守鑑周(綾部城城主・馬場頼周の孫)を小田へ移しました♪従って、乙宮山城は馬場肥前守鑑周の城だったと思われます♪
※ 因みに馬場頼周と龍造寺家兼(龍造寺隆信の曽祖父)は主家の少弐氏を巡り対立しています☆馬場頼周は佐嘉から龍造寺家兼を追放しようとしたけど、結果、筑後の蒲池氏に助けられ難を逃れています☆天文15年(1546年)頃の話です☆この時より、龍造寺氏と馬場氏はバチバチではありましたが、馬場肥前守鑑周の代には龍造寺家の家臣となっています♪

この馬場氏ですが、慶長16年(1611年)馬場茂貞が改易されるまでこの地を統治してたと伝わります♪

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