合六城

合六城([陣の森城  周辺城郭])

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合六城の口コミ情報

2021年10月12日 龍馬太閤【備中の麒麟児】


佐賀県の多久市にある【合六城】♪合六集落を囲う様に濠が廻ります♪西に両子山系の北端の皆木山、松瀬山の麓を杵島渠が走りコレに沿う様な形で牛津へ向かって道が伸びます☆南流する牛津川の西側、多久と小城の境目にかつて存在した城郭です☆山間に挟まれた平地に合六城☆こんな場所に城郭?と非常に不思議な場所に城郭は立地☆小城、牛津方面より多久は梶峰城に抜ける、はたまた唐津方面に行く為の唯一の街道だったと思われる、この場所は小城と多久の境界線に位置☆監視の為の城郭?と言うには高さが無く廻りは山間だし、境界線を抑える為の城郭?なのか?にしては防御力に乏しくも思う☆何とも不思議な所にあります☆丹邱巴誌の『古城蹟』には『合六城趾松瀬郷六ニアリ』と描かれます☆この合六城は大友宗麟が佐嘉へ侵攻した際にそれに連携して有馬氏が小城郡へ侵攻☆この時に龍造寺隆信は、合六城を造り佐留志城主・前田家定を配置して守らせたと伝わります☆『丹坂峠の戦い』この戦いで肥前国へ侵攻して来た西肥前の覇者、有馬家☆この出来事から造られたのが合六城なのでしょう☆抑えの城郭として造られたにしては非常に無防備で詰の城郭を持ち合わせていたのか?調べてみたけど解らずでした☆合六城周辺の山間部には幾つか城郭は存在していますが、この丹坂峠の戦い時に機能したかはハテナ?だけど、立地的には高台を使わない手はありませんから間違いなく使ったと考えます☆今後調べてみます♪因みにこの有馬氏は西側の両子山に本陣を構えてます☆今更ながら…丹坂峠の戦いとは龍造寺隆信VS有馬氏の間に起こった戦いです☆有馬氏が小城郡へ侵攻☆有馬勢の侵攻ルートとして…芦刈侵攻(柳鶴戦、鴨打城攻囲)→牛津侵攻(大戸ヶ里戦、大橋口戦)→砥川制圧(雁津戦)→小城侵攻(丹坂峠の戦い)へと発展した戦です☆この戦は龍造寺隆信の勝利で幕を閉じます☆これを契機に肥前国で更なる存在感を示した龍造寺隆信☆丹坂峠の戦い以前は牛津川より西を越えて攻勢に出る事が出来なかった訳ですが有馬氏の敗北により平戸・諫早・武雄の有馬勢傘下の諸将らは離反☆これで西肥前に攻勢へ打って出れる様になりました☆肥前国、最大の逆転劇『今山の戦』で龍造寺隆信が小城衆を味方に付けて今山に転用出来たのも、その後、更に力をつけて、九州三強と呼ばれるまで、のし上がれたのも、この丹坂峠の戦いでの勝利があるからですね☆

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