神代氏芦刈館
神代氏芦刈館([陣の森城 周辺城郭])
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神代氏芦刈館の口コミ情報
2021年06月13日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
佐賀県小城市の【神代芦刈館】♪神代と書いて『くましろ』です☆出自は高良大社の大宮司を務めた名族・物部氏から分かれた一族で、神代勝利の父・宗元の代で没落し肥前・千布村に流れました☆元々は熊代と名乗るも神仏の関係か?後に神代と名乗ります☆神代氏で有名なのは神代勝利☆幼い頃は肥前・千葉氏に養われ…その後、三瀬城主・野田宗利に請われ剣術師範に!更に三瀬・山内を含む一帯を治める事を推挙され結果『山内二十六ヶ山の総領』として豪族らを束ね、後に少弐氏の家臣に♪戦国中期には龍造寺隆信とバチバチの仲に☆元々主君は同じ少弐氏ですが色々あり…隆信の祖父と父が主君・少弐氏への謀反を疑われ誅殺された事で隆信は少弐氏を滅ぼします☆家臣である土橋栄益が隆信の失脚を図り村中城(現佐賀城)攻の際、コレに協力したりと神代勝利は反龍造寺派へ☆ピンチに陥ると柳川城の蒲池氏を頼る隆信は、この時も柳川で挙兵☆対する神代勝利は八戸宗暘の八戸城で防戦するも打ち負け隆信と和睦☆自領の山内へ退きましたが、、和睦した筈なのに隆信と再び対立☆神代勝利は龍造寺領の諸所を放火し抵抗します☆そんな神代勝利を排除すべく龍造寺家臣・小河信安は神代勝利の千布城の湯殿に侵入し暗殺を謀るも、、神代勝利は宴の真っ最中☆不審者を発見した女中が注進するも「そのような者は小河筑前しかおらぬまい。こちらに呼べ」と酒を酌み交わしましたw色々あった結果、隆信の配下になります☆もう一つ♪こんな伝承が…神代勝利は隆信と多布施館で和睦のため会見☆その際、隆信は神代勝利の毒殺を謀るも神代側近の馬場四郎左衛門の機転で事なきを得ます☆帰り際に神代勝利は隆信の愛馬に飛び乗り歌を歌いました☆「おどま山からじゃっけんノーヤ、お言葉も知らぬヨウ、あとで御評判な頼みます」コレはノーヤ節という歌としてこのエリアに残ります♪隆信らが呆然とする中を神代勝利は意気揚々引き上げましたw城館の詳細は…築城年代は定かではありませんが戦国末期でしょう☆神代氏により築城☆山内の雄として隆信と争った神代勝利が隆信と和議を結びその所領は山内から芦刈へ☆和睦後は芦刈・川久保・納所・松瀬など一万石を領した神代氏☆それを当地する為に芦刈館が築かれたと思われます☆「館屋敷」と呼ばれる区画が公園の東に残り、これが主要部でしょう☆北東の鈎状に折れた水路は堀の名残と伝わります♪神代勝利♪ 面白い武将です☆